なぜ藤間柳庵は異国船を見に行ったのでしょう?

このページの情報をツイッターでツイートできます
このページの情報をフェイスブックでシェアできます

ページ番号 C1042700  更新日  令和5年3月31日

なぜ藤間柳庵は異国船を見に行ったのでしょう?

2017年3月7日(火曜日)

なぜ藤間柳庵は異国船を見に行ったのでしょう?画像

ミーハーだったのでしょうか?
「異国船が来ているよ、見に行こうよ。」と、友達を誘って行ったわけでもないんだと思います。

では、なぜ柳庵は異国船を見に行ったのでしょう?

相模の柳島の文物を船に乗せ、江戸湾を通って江戸まで行き、
向こうで何かのものと取り替えたり買って、また柳島まで運んでくるという、
廻船問屋、貿易商人だったのです。
だから、ペリーがきたぞ、黒船という異国船が来たぞ、という情報が入り
それは船主として、この浦賀水道を通って行くのに、
そこを封鎖されちゃったらどうしようという危惧があったと思うのですね。
自分たちがこれからも貿易ができるか、江戸との交流が上手くいくかを心配して、
この西浦賀まで行ったのかなと思います。

藤沢で友達を誘って行たのも、もしかしたら同じ廻船問屋の仲間だったのかもしれません。

柳庵はこういう絵地図も必要でしょうし、それから当時の情報をたくさんメモして、
記録として残しているのですね。
ただ、日記をつけて残していくというわけでもなかったのだと思います。

そういう目でこの史料を見て頂くと、新しい柳庵像が出てくるかなと思います。

詳しくは文献史学の動画をチェック!

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

質問:このページの内容は参考になりましたか?
質問:このページの内容はわかりやすかったですか?
質問:このページは見つけやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

教育推進部 社会教育課 文化財保護担当
市役所分庁舎3階
〒253-8686 茅ヶ崎市茅ヶ崎一丁目1番1号
電話:0467-81-7226 ファクス:0467-58-4265
お問い合わせ専用フォーム