縄文時代前期・中期
縄文時代前期(約6,500~5,000年前)
縄文時代という名が付けられたきっかけとなった時期で、とくに前半には土器面にさまざまな工夫をこらして縄文が多用されました。後半には割竹状(わりたけじょう)の施文具(せもんぐ)が使われるようになり、竹菅文(ちくかんもん)としてその後の縄文土器の文様の主要素となりました。
地球が最も温暖化した時期で、現在よりも数mの海面上昇があったと言われます。自然環境は豊かとなり、動植物の食料確保が安定したため、定住化による本格的なムラの営みが可能となりました。茅ヶ崎市では、赤羽根から甘沼、香川、下寺尾にいたる崖面が、当時の海岸線と考えられます。下寺尾の西方貝塚(にしかたかいづか)は、この時期を代表する遺跡として知られています。
縄文時代中期(約5,000~4,000年前)
自然環境の安定は、人間の生活にも安心と余裕をもたらしたと考え考えられます。各地で遺跡数が急激に増加していることは、当時の縄文人の人口が急増したことを示すものと考えられます。
土器は竹管文(ちくかんもん)や縄文を組み合わせた装飾性豊かなものとなり、立体装飾など地域の特性も加えられるようになりました。
墓域(ぼいき)を含む大規模な環状集落(かんじょうしゅうらく)が造られるようになり、土器様式を単位とする社会構成が存在したことを感じさせます。
茅ヶ崎市では、天神原(てんじんばら)A遺跡で中期前半の土器群が多く出土した他、大久保C・D遺跡で後半の環状集落が発見されました。
縄文時代前期(約6,500~5,000年前)
縄文時代前期の土器 西方A遺跡
石鏃(せきぞく)
石のやじり。狩猟(しゅりょう)などに使用しました。
深鉢 西方A遺跡
土器片錘(どきへんすい) 西方A遺跡
石錘(せきすい) 西方A遺跡
磨石(すりいし) 西方A遺跡
掻器(そうき) 西方A遺跡
皮をなめしたり物を削(けず)るときに使いました。
前期竪穴住居址(ぜんきたてあなじゅうきょし) 西方貝塚
西方貝塚の貝いろいろ
ヤマトシジミは汽水域(きすいいき)に生息しますので、外海から隔てられた河口に潮が入りこむ水域(ラグーン)が、この貝塚の近くに形成されていたと考えられます。
他に沿岸砂底に生息するダンベイキサゴ・チョウセンハマグリ・サトウガイ、内湾に生息するハイガイ・マガキ、岩礁(がんしょう)付近のサザエ。イワガキなどが出ています。
縄文時代中期(約5,000~4,000年前)
石核(せっかく)と剥片(はくへん) 天神原A遺跡
深鉢片 西方A遺跡
浅鉢 天神原A遺跡
石錘(せきすい) 天神原A遺跡
削器(さっき) 天神原A遺跡
打製石斧(だせいせきふ) 天神原A遺跡
深鉢片 天神原A遺跡
大久保C・D遺跡出土の埋甕(うめがめ)
第12号住居址 大久保D遺跡
第14号住居址石囲炉(いしがこいろ) 大久保C遺跡
第8号住居址 大久保C遺跡
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