縄文時代草創期・早期

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ページ番号 C1040930  更新日  令和5年3月31日

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縄文時代草創期(約1,2000~9,000年前)

 旧石器文化から縄文文化に移り変わる頃、世界最古となる土器が発明され使用されました。最終末の旧石器である細石器(さいせっき)や槍形(やりがた)石器などが、一緒に使われていました。長きにわたった氷河時代の寒冷気候から温暖化に変わる気候の変化が、新たな土器の文化を生み育んだと考えられます。

 九州の豆粒文(とりゅうもん)土器から始まり、隆線文(りゅうせんもん)土器群、爪形文(つめがたもん)土器群の文化に続き、最後に網目文様がみられるようになります。

 茅ヶ崎では、今のところこれらの土器が発見されていませんが、槍形石器が行谷(なめがや)遺跡や杉山原遺跡などで見つかっています。

 

縄文時代早期(約9,000~6,500年前)

 石鏃(せきぞく)や石斧(せきふ)などを主体とする新石器を使用し始めた時期で、植物繊維を撚(よ)り合わせた細縄を棒軸に巻き付けて回転施文した撚糸文(よりいともん)土器群から始まり、棒軸に彫刻して回転施文した押型文(おしがたもん)土器群など、土器面に装飾が意図されるようになりました。後半にみられる、棒状具で条線を描いた沈線文土器群や貝殻(かいがら)による条痕文(じょうこんもん)土器群には、部分的なモチーフが加えられるようになりました。

 茅ヶ崎市では、早期の各時期の遺跡が確認されていますが、貝殻条痕文土器の時期に属する住居状遺構や炉穴群、落とし穴が、臼久保A遺跡や長谷(ながやと)B遺跡、天神原(てんじんばら)A遺跡で発見されました。

縄文時代草創期(約1,2000~9,000年前)

槍先形尖頭器(やりさきがたせんとうき) 行谷(なめがや)遺跡

槍先形尖頭器(やりさきがたせんとうき) 行谷(なめがや)遺跡
棒の先に付けて、槍(やり)として用いられました。

槍先形尖頭器(やりさきがたせんとうき) 杉山原(すぎやまばはら)遺跡

槍先形尖頭器(やりさきがたせんとうき) 杉山原(すぎやまはら)遺跡

槍先形尖頭器(やりさきがたせんとうき) 有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)台田(だいだ)B遺跡

槍先形尖頭器(やりさきがたせんとうき) 有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)
台田(だいだ)B遺跡



縄文時代早期(約9,000~6,500年前)

早期の土器 臼久保(うすくぼ)A・行谷(なめがや)・大久保A遺跡 長谷(ながやと)B遺跡

早期の土器
臼久保(うすくぼ)A・行谷(なめがや)・大久保A遺跡
長谷(ながやと)B遺跡

縄文早期の住居址(茅ヶ崎最古) 臼久保(うすくぼ)A遺跡

縄文早期の住居址(茅ヶ崎最古) 臼久保(うすくぼ)A遺跡

炉穴 長谷B(ながやと)遺跡

炉穴 長谷B(ながやと)遺跡
早期の住居は、まだ家の中に炉をつくることは少なく、炉穴と呼ばれる野外炉で煮炊きをしていたようです。
茅ヶ崎では堤1300番他遺跡や長谷(ながやと)B遺跡、臼久保(うすくぼ)遺跡などで炉穴が発見され、早期後半特有の集落の形態を見ることができました。


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