弥生時代

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ページ番号 C1040932  更新日  令和5年3月31日

トップ画

弥生時代(約2,400~1,700年前)

 茅ヶ崎市内37ヵ所で遺跡が確認されており、この時期には南部の低地でも遺跡数が増加しています。弥生時代中期の西方A遺跡、後期の赤羽根遺跡などが調査されています。また、篠山遺跡で出土した土器は東海地方の特色を示しており注目されます。

縄文土器と弥生土器

 弥生土器も縄文土器と同様に、ロクロを使わない素焼きの焼きものですので同じように赤茶けてやわらかい焼き上がりになります。 縄文土器はそれぞれの地域や時代で様々な文様や装飾があり千差万別ですが、文様や装飾の多様性に比べ形の基本は深鉢と浅鉢の2種類だけともいえます。 一方弥生土器は縄文土器にくらべ文様は多くありませんが、まだ縄文が残されているものもたくさんあります。 また縄文土器とは異なり、主に食物などを煮炊きするための甕(かめ)、蓄(たくわ)えるための壺(つぼ)、盛るための高杯(たかつき)など用途ごとにいろいろな形の土器が作られています。 文様や装飾よりも土器自体の機能を重視しているので、土器の形自体の美しさが感じられます。

 

弥生時代(約2,400~1,700年前)

壺型土器

壺(つぼ)型土器 弥生時代後期
香川 篠山遺跡

壺(つぼ)形土器

壺(つぼ)形土器 弥生時代後期
下寺尾 西方C遺跡

台付甕(だいつきがめ)

台付甕(だいつきがめ) 弥生時代 後期
下寺尾



高杯(たかつき)形土器

高杯(たかつき)形土器 弥生時代 後期
香川 篠山遺跡

高杯(たかつき)形土器

高杯(たかつき)形土器 弥生時代 後期
香川 篠山遺跡

高杯(たかつき)形土器

高杯(たかつき)形土器 弥生時代 後期
長谷(ながやと)A遺跡



環濠(かんごう)

環濠(かんごう) 弥生時代
下寺尾 西方A遺跡

環濠(かんごう)範囲想定図

環濠(かんごう)範囲想定図(1964年・1986年・1991年・2002年・2003年の調査より)
今から約2000年ほど前、西方の台地上には二重の環濠で囲まれた大きなムラが営まれていました。その大きさは関東でも最大規模と言われています。

集落を囲む環濠(かんごう)

集落を囲む環濠(かんごう)
1986年の調査


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