野田高梧
野田高梧(1893-1968)
北海道函館区(現・函館市)生まれの脚本家。
早稲田大学卒業後、映画雑誌記者として活動していたが、1924年、松竹に入社した。1930年代初めには、脚本家としての地位を確立し、1936年、シナリオライター協会(現・日本シナリオ作家協会)創立にあたり初代会長となる。さらに、1938年公開の野村浩将監督作品『愛染かつら』のヒットにより、野田の名前は広く知られるようになった。その後も活躍を続け、1958年に神奈川文化賞、翌年に紫綬褒章、さらにその翌年には小津安二郎とともに芸術選奨文部大臣賞、1967年には勲四等旭日小綬章を受賞した。
1927年の小津の監督昇進第一作目『懺悔の刃』で、野田は脚本を担当し、その後も数多くの作品でコンビを組むようになった。1947年頃から、野田と小津は映画の脚本を執筆する際は、茅ヶ崎館の部屋のうち「二番」の部屋に長期間滞在するようになるが、茅ヶ崎館にひたすら篭もって脚本を執筆していたわけではなく、茅ヶ崎海岸へ散歩に出かけたり、茅ヶ崎駅前まで映画鑑賞に行ったり、外食にもよく出かけていた。
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