平塚らいてう
平塚 らいてう(1886-1971)
東京市麹町区生まれの女性解放運動家。
1911年に青鞜社を設立。「元始、女性は太陽であった」の言葉で知られる、日本初の女性文芸誌「青鞜」を創刊し、女性解放運動に尽力した。1920年には、女性運動家で政治家の市川房枝らと新婦人協会を結成し、婦人参政権運動を推進。戦後は平和運動にも参加した。
姉の療養先である南湖院を通じて茅ヶ崎と深い関わりを持つようになる。青鞜社社員が結核の診断を受け、南湖院で療養した際には、らいてうも南湖院近くに下宿した。また、事実婚の相手である画家・奥村博(博史)が結核を患い、南湖院に入院して療養生活を送った際には、奥村の療養生活を支えながら執筆活動を続けた。南湖院の厚意により療養生活が支えられ、らいてうの活動においても南湖院は大きな支えとなった。


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