旧南湖院第一病舎(国登録有形文化財)

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ページ番号 C1060274  更新日  令和6年12月13日

南湖院は1899年(明治32年) に医師の高田畊安によって開設されたサナトリウム(結核療養所)で、最盛期には5万坪の敷地に14の病舎と様々な施設が点在し、「東洋一のサナトリウム」と謳われました。

当時は見舞客が宿泊する旅館や商店が開業し、賑わいをみせるなど、茅ヶ崎に経済的な恩恵をもたらしたほか、道路や海岸の植林の整備も進み、茅ヶ崎のまちづくりに大きな影響を与えました。

また、入院患者には、作家の国木田独歩、詩人の八木重吉といった著名な文学者も多く、見舞いの文人を交えた文学交流が展開された場でもありました。真山青果は、田山花袋のすすめで国木田独歩の『病床録』を書き、読売新聞に連載されました。女流文芸雑誌『青鞜(せいとう)』を発刊した平塚らいてうは、南湖院に入院した姉を見舞ったことがきっかけとなり、一時『青鞜』編集部を南湖院に移しており、南湖院が明治末期の女性解放運動の原点となりました。

他にも入院生活を送った文学者は、童話作家の坪田譲治、『大菩薩峠』の中里介山、詩人の秋山秋紅蓼、歌人の岩谷莫哀、随筆家で参議院議員の森田たま等がいます。

 南湖院は、戦中は旧日本軍に、戦後は米軍に接収されましたが、1957年(昭和32年)に解除されました。その後、2015年(平成27年)12月10日に第一病棟が市に寄贈されました。そして、2018年(平成30年)には、国登録有形文化財として登録されました。

 現在は、旧氷室家住宅、旧藤間家住宅、茅ヶ崎館と合わせ、市域南側の文化ベルト地帯に点在する国登録有形文化財についての利活用事業も進めています。

画像:旧南湖院第一病舎

画像:旧南湖院第一病舎2

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