令和7年8月17日 「平和のつどい」が実施されました
令和7年8月17日 「平和のつどい」が実施されました
- 掲載日
- 令和7年10月8日(水曜日)
- 取材場所
- 市役所
8月17日、「平和のつどい」を開催しました。
第一部の式典では、平和宣言文の朗読や、「平和について」ポスター・作文コンテスト表彰式が行われました。平和大使の派遣の様子を記録した動画も上映されました。「平和記念式典で広島市長による平和宣言を聞き、たとえ自分の意見と反対の人がいても、決してあきらめずに話を聞いてみようと思った」、「灯ろう流しで川に流れていく色とりどりの灯ろうを見て、「どうか安らかにお眠りください」と願わずにはいられなかった」など、動画の中のメッセージを通して、平和大使が実際に広島で見たこと・感じたことを参加者に伝えることができました。
会場には、コンテストの受賞作品と、広島派遣を経験した平和大使による絵・作文を紹介したパネルが展示されました。多くの参加者がパネルの前に立ち止まり、平和大使たちの「平和への思い」に触れていました。
第二部では、「原爆の子の像と六年竹組の仲間たち ~佐々木禎子さんの思いをつなぐ~」と題し、オンライン講演会が行われました。「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの幼馴染 川野登美子さんと継承者の高村知代美さんによるお話は、参加者の心に深く響きました。
講演会の冒頭に、川野さんからご自身のこれまでの活動や禎子さんとの思い出などをご紹介いただき、その後、川野さんの思いを受け継いだ高村さんによる講話が行われました。とても活発でかけっこではいつも一位だったという禎子さん。そんな禎子さんと川野さんは大の仲良しだったそうです。クラス全員で団結した運動会の学級対抗リレーでは見事一位に輝き、一生の思い出となりました。
しかし、2歳で被爆した禎子さんの体は、知らずのうちに病魔にむしばまれていました。「鶴を千羽折れば願いが叶う」と信じ、禎子さんは毎日一生懸命に折り鶴を折りましたが、願いむなしくわずか12歳でこの世を去りました。
川野さんたち六年竹組の仲間たちは、禎子さんや原爆で亡くなった子どもたちを慰めるための「原爆の子の像」の建立に中学校生活を捧げ、実現のために奔走しました。全国から当時のお金で約540万円の寄付金が寄せられ、1958年5月5日に「原爆の子の像」が完成しました。「原爆の子の像」には、現在に至るまで世界中から彼女の思いに触れた人々からの千羽鶴が集まり、茅ヶ崎市からも市民の皆様から集めた千羽鶴を毎年献納しています。
幼い少女が折り鶴に託した「平和への思い」を私たちは忘れてはいけません。今年は戦後80年・茅ヶ崎市核兵器廃絶平和都市宣言から40年を迎えます。戦争を体験した世代が減少し、次世代への継承が急がれる今、改めて「平和の尊さ」に目を向け、考えてみませんか。
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
このページに関するお問い合わせ
企画政策部 広報シティプロモーション課 広報担当
市役所本庁舎5階
〒253-8686 茅ヶ崎市茅ヶ崎一丁目1番1号
電話:0467-81-7123 ファクス:0467-87-6345
お問い合わせ専用フォーム