令和7年8月5日~7日 「ピーストレイン平和大使広島派遣事業」が行われました

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ページ番号 C1065062  更新日  令和7年9月19日

令和7年8月5日~7日 「ピーストレイン平和大使広島派遣事業」が行われました

掲載日
令和7年9月19日(金曜日)
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 令和7年8月5日(火曜日)~7日(木曜日)にかけて、平成2年から始まった、ピーストレイン平和大使広島派遣事業が実施されました。ピーストレイン平和大使とは、「平和について」ポスター・作文コンテストで入賞した小学6年生3名と中学2年生3名のことです。平和大使たちは、3日間のプログラムを通じて戦争の悲惨さと平和の尊さを学びました。  初日には、「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの幼馴染である川野登美子様との交流を実施しました。川野様には、8月17日(日曜日)実施の「平和のつどい」で講師を務めていただきます。今回はそのご縁もあり、平和大使との広島での交流に応じていただきました。川野様から、禎子さんとの思い出や像の建立にまつわるエピソードを伺いながら、一緒に折り鶴を折り、平和への思いを込めました。その後、川野さんと一緒に「原爆の子の像」に千羽鶴を献納しました。千羽鶴に囲まれた像を愛おしそうに見つめ、禎子さんへの想いを語る川野様の姿が非常に印象的でした。平和大使たちも深く感動し、お別れの際には何度も感謝の言葉を述べていました。
続いて、平和記念資料館を訪問しました。猛暑の中、多くの外国人観光客が訪れており、「ヒロシマ」に対する世界の意識の高さを感じさせました。8月6日の惨状を記録した写真や絵、証言に真摯に向き合いながら、平和大使たちは学びに努めていました。見学後には「私たちのような若い世代が、“あの日、きのこ雲の下で何が起こったのか”を後世に語り継がなくてはならないと思った」と、強い決意を語ってくれました。  2日目は平和記念式典に参列し、日本中・世界中から集う参列者とともに、原爆で亡くなった方々に平和の祈りを捧げました。平和宣言中の「意見が異なる人がいても、あきらめずに対話を重ねることが大切だ」という言葉が、特に平和大使たちの心に響いたようです。その後、爆心地に最も近い小学校であった本川小学校平和資料館を見学しました。かつてほとんどの生徒・職員が犠牲となったこの学校の平和への歩みは、写真や遺構からひしひしと伝わってきました。
午後には、姉妹都市であるホノルル市・郡の高校生との交流が行われ、ゲームや自己紹介を通して親交を深めた後、「平和」をテーマに意見交換を実施しました。互いの価値観や考えが飛び交い、「学んできた背景や立場は異なれど、平和を願う心は誰にも共通する」という実感を得る貴重な時間となりました。
夕方に参加した灯ろう流しでは、平和大使は、ホノルルの高校生たちと共に描いた灯ろうに思いを託し、元安川に流しました。人々の平和への願いを載せた灯ろうは、川をゆっくりと流れていきました。
最終日には、「第1回全国平和学習の集い」に参加しました。被爆者である内藤愼吾様による講話では、6歳のときに被爆した経験を語っていただき、当時の悲惨な状況と今ある平和の尊さについて力強いメッセージをいただきました。その後のディスカッションでは、「今平和でない状態とはどのようなことがあるか、どうすれば解決できるか」というテーマについて、日本全国から集まった同世代の子どもたちと話し合いました。平和大使たちは、自分なりに考えた平和を実現するための方法を発表し、チームメンバーの意見にも熱心に耳を傾けていました。ディスカッションを終えた後、「一人ひとりが平和の大切さを理解し、多方面から相手を見て話し合うことが大切だと思う」という自分の考えを伝えてくれました。
 被爆から80年を迎える広島だからこそ、平和大使たちはさまざまな人々の平和への想いに触れ、原爆の悲惨さと平和の尊さを身をもって学ぶことができました。次世代への思いの継承が急務とされる今、私たち一人ひとりが平和について深く考え、行動することが求められています。あなたも、平和について改めて考えてみませんか。

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