電気やガスのないくらし
こちらでは、昔の人びとの一般的な生活をご紹介しております。ここでいう昔というのは、茅ヶ崎の村々の一般家庭に、上下水道やガス、電気が普及していなかった頃を指しています。時代でいうと明治時代から戦後間もない頃までの間です。
この大きな甕(かめ)には、水を溜めていました。蛇口をひねれば水が出てくるような状況ではなかった頃は、井戸や川から汲んできた水を甕に溜めて、生活用水として使いました。こちらは、その頃に使っていた木製の流し台です。井戸端や台所で使いました。
次に、火を利用する道具をご紹介します。かつての人びとは、料理をするにも暖をとるにも、薪や炭を燃やしておこした火をつかっていました。
しかし昭和30年代にもなると、一般家庭に電気やガスが普及し始めます。発達した電気・ガス製品は、火事の危険性も減る上、自動式のものが多く、便利に使うことができます。この頃から人びとの生活様式は徐々に変化していき、火をつかう生活から電気・ガスをつかう生活に変わっていきました。
こちらはご飯を炊く釜(かま)です。羽のようなでっぱりがあるので羽釜(はがま)と呼ばれます。火打石(ひうちいし)で火をおこしたかまどに、研いだ米と水を入れた釜をかけてご飯を炊きます。釜の「羽」の部分は、かまどに設置するときに引っかかるようになっているんですね。電気式やガス式の炊飯器が登場してからも、強い火力が出せるかまど炊きの方がご飯が美味しく炊けるため、昔ながらのやり方でご飯を炊いていた人が多かったそうです。
こちらはあんかといって、暖をとる道具です。焼き物でできた火入れに火のついた炭を入れ、それをこのくぼみの中に入れます。
また、こちらは置きごたつと呼ばれるもので、持ち運びできるこたつです。やぐらと呼ばれる木製の台の中に、炭火を入れた火入れを設置します。
こちらには囲炉裏(いろり)が再現してあります。鉄びんがかかっているこの部分は自在鉤(じざいかぎ)といいます。なぜ自在鉤というのかと言いますと、高さを自在に変えられるから、つまり火と鉄びんとの距離を自在に調節できるからです。この魚型のパーツの尾の部分で調節できます。囲炉裏は、調理もできる上に、暖や明かりにもなるすぐれものでした。
自在鉤の調整部分にはさまざまな形があり、ひょうたんや扇などの縁起物があしらわれることもありますが、このような魚の形が特に多く用いられたようです。火をつかっていた時代は、火事や火傷の危険性が高く、燃え移りに注意が必要でした。魚など水に関係するものは火を防ぐという考え方によって、火元となる囲炉裏に魚があしらわれたのですね。同じような考え方の例として、お寺の塔のてっぺんに取り付けられる水煙(すいえん)という装飾にも、火災を避ける意味合いが込められています。
このように、電気やガスが普及していない時代では火を上手に使って生活していたことが、昔のくらしの道具からよくわかります。
使用するエネルギー以外にも、現代の生活と違う部分はまだまだあります。
例えば、複数人で食事をするとき、現代であれば大きなテーブルに人数分の食事を並べるのが当たり前ですが、かつては各人に一つずつ、食事を並べる台があるのが一般的でした。この台を膳(ぜん)といいます。大正時代にテーブルやちゃぶ台を使う生活様式が浸透するまでは、床に座って、一人分の食器を膳の上に並べて食事をとっていました。膳は、今も食事のことを指す言葉として慣用句につかわれたり、食器の単位などに名残がありますね。
この木製の箱は箱膳(はこぜん)といって、当時の人びとが食事の時に使っていたお膳です。普段は箱の中に食器を入れておいて、食べるときは蓋をひっくり返して箱の上に置き、膳として使います。子どもたちは3歳くらいになると自分の箱膳を作ってもらったといいます。
囲炉裏の奥のタンスの上には、恵比寿大黒(えびすだいこく)や神棚が飾られています。かつては「屋敷神(やしきがみ)」や「氏神(うじがみ)」とも呼ばれるような、家ごとにまつっている神がいました。今よりも人間と神さまの距離が近かったのも、興味深いですね。
次は、こちらの足踏み式ミシンをご覧ください。珍しくなりつつありますが、現在も利用されている方がいます。また国外に目を向ければ、現在も足踏み式ミシンが現役で大活躍している国も多くあります。ミシンという道具の過渡期において、長い目でみても非常に貴重な資料ではないでしょうか。
現代の消費社会において、服は買うものというのが一般的かと思いますが、かつては衣服に対する捉え方が大きく異なります。服は作るのが一般的で、何度も繕ったり、ほどいて仕立て直したりして、布をとても大切に扱っていました。布は手間と時間をかけて織るものであり、購入するにも高価だったためです。また、晴れ着と普段着が現代よりもはっきり分かれているのも特徴的です。
もう一つ、こちらの資料をご紹介します。氷冷蔵庫と呼ばれる、上段に大きな氷の固まりを入れて、その冷気で下段に入れた食材を冷やす冷蔵庫です。
この資料は、昭和27(1952)年に三越が販売していた冷蔵庫ですが、茅ヶ崎では非常に珍しい資料の一つです。現代生活には欠かせない冷蔵庫ですが、意外にも、かつての茅ヶ崎では、冷蔵庫を使っているご家庭がとても少なかったそうです。
かつて茅ヶ崎に暮らしていた方々のほとんどは、農業や漁業に従事していた方々でした。そのため、食べ物は原則買ってくるのではなく生産するものであり、出荷しきれない分を自分たちの食事にしていました。当時、農業や漁業に従事している方々にとって、冷蔵庫は別に使わなくていいものだったんですね。
一方で冷蔵庫をつかうのは、食べ物を買ってきて貯蔵しておき、必要に応じて調理する生活スタイルの方々です。つまり、東京をはじめとした大きな街に出て働き、貰った給料で生活に必要なものを購入するという、我々と同じスタイルです。このような暮らしをされるのは、茅ヶ崎がベッドタウン化して以降にお住まいになった方や、別荘を建てて他地域から来た方々に限られていました。
だから、茅ヶ崎において古い冷蔵庫は貴重な資料なんですね。また、当時の食生活も、現代とは大きく異なります。食事を食べる時間や回数も違いますし、私たちが毎日違うメニューを食べるのも当たり前なのに対して、かつてはハレの日以外ほぼ同じものを食べていたという違いも面白いですね。
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