旧和田家住宅と旧三橋家住宅
昔の人びとがどんな家に住んでいたのか、想起させてくれるのがこちらの住宅模型です。
模型になっている建物は旧和田家住宅と言いまして、かつての萩園地域にあった萩園村で名主を代々務めていた和田さんのお宅です。とても豪華な造りで、部屋数も多く、外観にも様々な工夫が凝らされています。
旧和田家住宅は、昭和57(1982)年に市重要文化財に指定されました。一度解体され、萩園から市内北部の堤に移築されています。その後、昭和60(1985)年からは民俗資料館として開館しています。
現在は改修工事中で入れないのですが、ご興味のある方は、工事が終わってからぜひお訪ねください。かつての農家さんの立派なお屋敷がご覧いただけます。
さらに、旧和田家住宅のそばに旧三橋家住宅がございます。和田家よりも30年ほど早く建築された住宅です。三橋家もかつて香川村で名主を務めた旧家ですが、こちらの住宅は和田家と比べると一般的な造りの家で、田の字型の間取りをしています。
旧三橋家住宅も、昭和46(1971)年に市の重要文化財に指定されています。その後昭和47年(1972年)に香川から現在の浄見寺境内に移築され、同48(1973)年に民俗資料館として開館しました。
旧和田家住宅と旧三橋家住宅、どちらも19世紀半ばに建築された住居ですが、二つの家屋を見比べると、部屋の数や間取り、外観の仕上げや装飾などさまざまな違いに気が付きます。
さまざまな意匠が凝らされた旧和田家住宅は、村役人としての強い影響力を利用して、他地域からも人手や木材を仕入れて造られたことがわかっており、当時の他地域との交流や流通を示すものになっています。
一方の旧三橋家住宅は、神奈川県央部の民家の典型的な造りを示しており、地域に根付いた相互扶助によって建てられたことがわかっています。また、使用された資材も、茅ヶ崎の砂丘地域に多く生えているマツ材など、地元のものが使われていました。
旧和田家住宅と旧三橋家住宅は、両者を比較することで得られる情報も多く、どちらとも遺して伝えていくことにこそ大きな意味があります。
私たちが歴史的な遺産を残そうとするとき、珍しい付加価値のあるものばかりに意識が行きがちです。一方で、典型例や普遍的なものは忘れられやすい嫌いがあります。しかし、どちらか片方だけ遺してもあまり意味はありません。典型があるからこそ珍しいものが生まれるのであり、普遍的なものこそ、その時代の実情を反映していることも多いのです。
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