下場(げば)A遺跡

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ページ番号 C1009859  更新日  令和5年3月31日

下場A(げばA)遺跡で発見された古代の役所跡

 下場A遺跡は、県立茅ヶ崎里山公園のパークセンターの西隣の道を北に向かった腰掛け神社から北側の尾根先端部の一帯に所在します。
 畑の耕作中に土器が出土したことをご連絡いただいたことから開始された調査により、古墳時代から奈良時代にかけての多くの遺構群と土師器(はじき)や須恵器(すえき)などの土器が出土しました。また、真っ赤に焼けた土や白い灰なども耕作中に見つかっていました。
 調査の結果、縄文時代中期(4500年前)の土器片ややじりが出土したほか、弥生時代終末から古墳時代初期にかけて(約1800年前)の竪穴住居跡1軒、古墳時代後期から奈良時代(約1300年前)にかけての竪穴住居跡が4軒以上確認されました。
 縄文時代の状況はとても希薄で、ムラの存在は認められませんでしたが、やじりの発見はこのあたりが、当時は狩りの場であったことを想定させます。
 弥生時代終末から古墳時代初期にかけて(約1800年前)の不整形な竪穴住居跡の存在は、弥生文化から新たな政治社会を迎えるこの地域の混乱を感じさせます
 今回の調査で特筆される古墳時代後期から奈良時代(約1300年前)では、発見された竪穴住居跡のうちの1軒から、現代のベルトのバックルと同じような金属製の装飾品である帯金具(おびかなぐ)が出土しました。このような帯金具をつけていた人物は、一般的には官人(役人)と考えられています。
 その他、整然と並んだ高床式と考えられる掘建柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)(注)の柱穴群が発見されました。掘建柱建物跡のうちの1軒は、ひさし付き掘建柱建物と呼ばれる大型の建物跡で、建物の周囲に回廊のような構造があったと考えられています。
 ひさし付き建物をはじめ整然と並んだ建物群や帯金具の存在は非常に珍しいものであることから、この遺跡は約1300年前頃に営まれた何らかの公的な施設の可能性が考えられ、下寺尾の高座郡衙(たかくらぐんが…当時の高座郡の郡役所)に関連を持つ芹沢地域の役所の存在が想定されます。この2つの遺跡のすぐ近くには小出川があることから、この川または川筋を利用して米などの税物資をやりとりしていたことを考えることもできます。
 以上のように、この下場A遺跡での調査成果は、茅ヶ崎の古代社会(律令時代)を考える上で、とても重要な資料であり大きな意義を有しています。
(注)掘っ建て柱建物:床が地表面か現代の住まいのような高床式の構造を持つ、穴を掘って柱を立てた建物

下場A遺跡の調査地点

弥生時代終末から古墳時代初めの竪穴住居跡と遺物出土状況

出土した甕(かめ)類

床面の検出状況

奈良時代の竪穴住居の調査風景

出土した帯金具

ひさし付き堀建柱建物跡

ひさし付き堀建柱建物跡(接写)

堀建柱建物跡の柱穴群(白のマーク)

堀建柱建物跡の柱穴群(南から)

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