旧石器時代

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ページ番号 C1041104  更新日  令和5年3月31日

 資料館の2階では考古学の展示をしております。考古資料や埋蔵文化財といった言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、私たちが生活している地面の中から見つかった、かつての茅ヶ崎の人びとが暮らした日々を伝えてくれる資料を紹介しているコーナーです。ここで展示している資料の多くは、道路工事や上下水道の整備など、都市開発のなかで発掘されました。

 現在市内には216か所の遺跡があります。遺跡というのは考古学的に、地面に埋まっている人類の活動の痕跡(こんせき)を示す場所やモノを指します。例えば、住居や建物のあった痕跡や、石器や土器などです。市内で発見された遺跡は、茅ヶ崎という土地が永きにわたって、人間にとって住みやすい土地であることを証明してくれているのかもしれません。

旧石器時代の礫

 さて、茅ヶ崎市内では旧石器時代から人間の活動していた痕跡がみつかっています。旧石器というのは、石などを打ち欠いてつくる打製石器(だせいせっき)のことです。人類の文化による時代区分では最も古い時代で、一般的には数百万年前から約1万年前まで続いたといわれています。日本における旧石器時代は、少なくとも約3万年前までさかのぼることができます。

 茅ヶ崎市内では、市北部にある堤地区の遺跡で、約1万8千年前の地層からナイフ型石器と礫(れき)などがみつかりました。礫はものを叩くのに使われたと考えられている道具です。この頃は、地球上で最後の氷河期にあたる時代で気温が低く、海水面は現在より100メートルも低かったようです。

 市北部地域の大半は市街化調整区域になっており、発掘調査の機会が限られています。そのため、太古の歴史を伝える資料の多くは、まだ地中に眠ったままです。1万8千年も前のはるか昔には、どんな人びとが、どんな生活をしていたのでしょうか。特に、旧石器時代の遺物が発掘された市内遺跡の内、3つは非常に近い範囲に固まっています。腰掛神社そばの大島仲谷遺跡(おおしまなかやといせき)からは、元通りにくっついた石器片がみつかっていることから、石器の製作所のような場所だったとも考えられます。近くには住居や狩り場があったのでしょうか。想像が絶えません。

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教育推進部 社会教育課 博物館
〒253-0006 茅ヶ崎市堤3786-1
電話:0467-81-5607 ファクス:0467-81-5651
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