岡崎市の史跡

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ページ番号 C1007359  更新日  令和5年3月31日

歴史と文化が息づくまち

岡崎城

岡崎城

 三河の守護代西郷稠頼(つぎより)が康正元年(1455)に築城。その後松平氏の居城となり、天文11年(1542)に松平竹千代(後の徳川家康)が城内で生まれました。明治6年から7年にかけて取り壊しとなりましたが、昭和34年に三層五重の天守閣と井戸櫓、附櫓が86年ぶりに復元されました。内部は歴史資料館になっており、江戸時代の岡崎の様子を今に伝えるとともに、周辺一帯は城址公園として能楽堂、日本庭園などが整備されています。


大樹寺

大樹寺

 天文4年(1535)松平清康が七堂伽藍、多宝塔を造営、徳川三代将軍家光は、徳川家の菩提寺であるこの寺の大改築を行い、大方丈、三門、総門、鐘楼を建てました。この際、本堂から三門、総門を通し、その中央に岡崎城を望むことができるよう配置されたことに、家光の家康公への崇敬の念を伺い知ることができます。家康が19才の時、桶狭間合戦により、今川義元が倒れたので身の危険を感じ、ここへ逃れて先祖の墓前で自害すべく覚悟のほどを住職登誉上人に表わすと、上人の言葉は「厭離穢土 欣求浄土」(えんりえど ごんぐじょうど)と訓し、家康はこの八文字を終生座右の銘としました。


大岡越前守陣屋跡

大岡越前守陣屋跡

 大岡越前守陣屋跡は、大岡越前守忠相が寛延元年(1748)に一万石の大名となってから明治まで、代々大岡家が西大平藩に陣屋を置いたところです。
 西大平藩は定府大名で江戸屋敷詰であったため、三州郡奉行が江戸から派遣され支配していました。大岡忠相自身も江戸屋敷詰であったため、実際にこの陣屋に住んだことはありませんが、庭園の散策をしながら「大岡裁き」で有名な大岡忠相の功績をしのぶことができます。


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