茅ヶ崎の変遷

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ページ番号 C1027977  更新日  令和5年3月31日

茅ヶ崎の変遷

 茅ヶ崎という地域は、村から町、そして市へ様々な段階を経て現在に至っています。
 江戸時代には23の村が存在していました。明治の初めには明治政府が廃藩置県を実施し、1868(明治元)年8月には23の村のうち20の村は韮山(にらやま)県に属し、次いで9月に神奈川県の管轄となります。残された3つの村は香川・室田・堤でしたが、香川・堤の2村については大岡家の領する三河国西大平藩の管轄を経て1872年に神奈川県下に移されました。室田村については1871年に神奈川県管轄となりましたが、それまでの支配については不明です。
 次いで1873年に大区・小区制という地方制度を実施。茅ヶ崎は第18大区3、4、5、9、10小区に属しました。1878年には群区町村編成法が施行され、さらに村はまとめられ、1884年には区町村会法が改正され茅ヶ崎村役場、室田町外6カ村連合戸長役場、今宿村外10カ村連合戸長役場、堤村外4カ村連合戸長役場に分けられました。最終的にこれらは1889年の市制町村制施行によって、茅ヶ崎村・松林村・鶴嶺村・小出村の4カ村に新しく再編されることとなります。1908(明治41)年には県や郡の強い指導の下に茅ヶ崎村・松林村・鶴嶺村が合併され、10月に茅ヶ崎町が誕生しました。
 その後、第二次世界大戦後までの間に茅ヶ崎町では市昇格への動きはありましたが、実現していませんでした。しかし町民の熱意に支えられ、1947(昭和22)年10月、ついに市制が施行されます。その後、全国的な地方自治体の拡充を目的とした町村合併により、1955年4月に小出村分村して茅ヶ崎市に合併され、現在の茅ヶ崎市が誕生したのです。2017(平成29)年10月、茅ヶ崎市は市制施行70周年を迎えました。
 詳しくは、『茅ヶ崎市史』4通史編、及び5概説編をお読みください。

参考文献

『茅ヶ崎市史』4通史編、5概説編(104ページ)

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