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大岡越前守忠相公について

ページ番号 C1006920  更新日  平成26年10月20日

『大岡越前守忠相公』って、いつの時代の人?

大岡越前守忠相公(おおおかえちぜんのかみただすけこう)は、江戸時代中期の有能な官僚でした。

『大岡越前守忠相公』って、何した人?

忠相直筆の書

常に庶民の暮らしを考え、江戸町民のためにさまざまな施策を行った「大岡越前守忠相」。
テレビドラマで「大岡裁き」を見たことがある人も多いのではないでしょうか。

大岡越前守忠相公は若い頃の逆境にも負けることなく、識見共に優れ、8代将軍徳川吉宗が行った享保の改革を支えました。
吉宗公の信任を得て、江戸町奉行、寺社奉行の要職を歴任するなど、司法官としても偉大な足跡を残す一方で、経世家、文化人として偉業は数多く知られています。

忠相の75年の生涯をみると、輝かしい業績を残した割には表だった華やかさを感じさせません。主君のために光りを与え、影以上には出まいと心がけた深みのある人間性は、今もなお多くの人から慕われています。

大岡越前守忠相の主な業績
火災対策 町人による町火消し(いろは四七組)を編成し、消火活動にあたった。防火に優れた藏造り、塗り屋、瓦屋根、牡蠣殻屋根(かきからやね)を奨励した。
困窮者の救済 八代将軍吉宗の意を受けて小石川療養所を開設運営にあたった。病気になった困窮者を入院させ、薬を与えたりした。(入院定員は100人、後に150人に)
交通の整備 永大橋や両国橋を含めた橋の修繕を企画調整した。また、大八車などによる交通事故に厳罰でのぞむ町触れを出した。
目安箱の設置 庶民の要求・不満などの投書を受け取るために、評定所の門前に箱を設置した。
物価の安定 日用品や嗜好品の製造販売者に組合を作らせ、適正利潤の相互監視をさせることで、諸物価の安定を図った。
通貨の安定 江戸で流通する金貨と、上方で流通する銀貨の相場の安定を両替商に指導した。元文(江戸幕府が、通用金銀の不足を補うために改鋳してその数を増やした金銀。極印に「文」の文字がある。)の改鋳を吉宗に進言し、実現させた。
ゴミ収集の組織化 各町でゴミ取りの請負をしていた収集人から出された組合設立の申請を許可し、独立権を与える代わりに、江戸城の堀の清掃をさせた。
賭博の一掃 当時主流の賭博「三笠付」への厳罰方針、密告の奨励、五人組や領主の連帯責任を、日本橋の高札で告示して、摘発に努めた。
武蔵野新田の開発 兼任していた関東地方御用掛として、武蔵野新田の開発を推進。82ヶ村、総石高にして12,600石の大規模開発を成功させた。
私娼の取り締まり 吉原以外での売春行為を厳しく禁ずる町触れを出した。私娼を置いた者は家財没収、摘発された私娼の吉原引き渡しを決めた。

『大岡越前守忠相公』と茅ヶ崎との関係は?

大岡家の墓碑

大岡越前守忠相と茅ヶ崎市のゆかりは、祖先の知行地であったことと菩提寺があることです。

大岡家は、徳川家直参の三河武士で、家康も大岡家代々の忠誠には深い信頼を寄せていたといわれています。その家康の関東入府に従った、忠政の最初の知行地が茅ヶ崎の堤村でした。
2代当主忠政が初代忠勝(忠相の曾祖父)の追善のために建立したのが、茅ヶ崎市北部にある浄見寺です。「浄見寺」という名前は、忠政の法名「大綱院殿忠誉窓月浄見大居士」の中から四文字をとり、山号窓月山・寺号浄見寺として名付けたとされています。


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