南湖院と第一病舎について

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ページ番号 C1037071  更新日  令和5年3月31日

東洋一のサナトリウム・南湖院

明治32(1899)年に高田畊安によって開設されたサナトリウム(結核療養所)。

最盛期には5万坪の敷地に14の病舎とさまざまな施設が点在し「東洋一のサナトリウム」と謳われました。

サナトリウムの中でも南湖院は規模や設備において際立った存在で、在院中の死亡数も低く、一流の医療機関関係者が医学生を連れて視察に訪れています。
南湖院の発展は、明治31(1898)年の茅ケ崎駅の開業とともに、まちづくりに大きな影響を与えました。

見舞客が宿泊する旅館や、商店が開業し賑わいをみせるなどの経済的な恩恵をもたらしたほか、道路や海岸の植林の整備なども進みました。
また、多くの文化人が療養や見舞いに訪れ、ここでの体験を作品にのこしています。

施設の名称は地名の南湖 (なんご) に因んでつけられましたが、畊安が濁音を嫌ったことから、「なんこいん」と読ませたそうです。

はじめに建てられた第一病舎は、畊安の母の名を冠して竹子室と名付けらました。

その第一病舎の佇まいと庭園の景観が、南湖院の往時の面影をいまに伝えています。

第一病舎(竹子室)

構造形式 木造2階建 寄棟造 ストレート葺

外 壁 イギリス下見板張 塗装仕上げ

建築面積 115.49平方メートル

延床面積 230.98平方メートル

新築竣工 明治32(1899)年9月

設計施工 岡本鶴蔵

改修年代 昭和54(1979)年 昭和58(1983)年 平成14(2002)年

名称由縁 創始者 高田畊安の母 竹子

特徴 縦長の上下窓 三角ペディメント 銅蛇腹(コーニス)

(注)第一病舎は外観のみご覧いただけます

第一病舎
第一病舎(竹子室)

創始者 高田 畊安(たかた・こうあん)

医師。クリスチャン。

文久元(1861)年生まれ。

結核を患った際、大磯で療養し奇跡的に復活した経験などをきっかけに、結核専門病院の設立を決意して、明治29(1896)年に東洋内科医院(現 千代田区駿河台)を設立。

その分院として、明治32(1899)年に茅ヶ崎に南湖院を開設。

高田畊安(創始者)
高田畊安

畊安の思想が色濃く反映された施設運営

合理的な施設づくりと療養

井戸水を水道として利用したり、測候所、水洗便所、汚水浄化装置、スチーム暖房など、合理的で環境にやさしい設備が整えられました。

海浜の空気のなかで安静に過ごし、毎週末、入院患者向けに宗教や衛生に関する講話がありました。

医王祭

施設の宣伝と地域住民との交流を目的に、毎年、全国の著名人や地域住民を招いた盛大なクリスマス行事(医王祭)が催されました。

日ごろから地域との関わりを大切に、日曜学校も開いていました。

これまでの主な出来事

明治32(1899)年 南湖院開設 第一病舎(竹子室)が竣工(最初の入院は勝海舟夫人ら3人)

明治41(1908)年 入院中の国木田独歩が死去

大正元 (1912)年 平塚らいてうと奥村博が訪問

大正15(1926)年 八木重吉入院(翌年自宅で死去)

昭和20(1945)年 高田畊安死去 海軍による接収

昭和21(1946)年 米軍による接収(キャンプチガサキとなる)

昭和32(1957)年 接収解除 以降、サマーキャンプなどで利用される

昭和54(1979)年 有料老人ホーム・太陽の郷開設

平成27(2015)年 畊安の孫・準三氏の相続人の耕太郎氏より第一病舎が市に寄贈される 市と南湖荘が包括協定締結

平成28(2016)年 第一病舎外観及び周辺庭園公開(南湖院記念太陽の郷庭園)

平成30(2018)年 国登録有形文化財登録(3月27日)

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