「禎子の折り鶴」と金属製の折り鶴「SADAKO」について

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ページ番号 C1054410  更新日  令和5年9月11日

「禎子の折り鶴」と金属製の折り鶴「SADAKO」は、茅ヶ崎市の平和啓発活動の象徴として、市役所本庁舎1階市民ふれあいプラザに展示されています。この2つが同時に展示されていることは大変貴重なことです。金属製の折り鶴「SADAKO」が自治体に寄贈されたのは、茅ヶ崎市が全国で初めてとなります。

金属製の折り鶴「SADAKO」

「禎子の折り鶴」について

佐々木禎子(ささき・さだこ)さんが闘病生活中に1,000羽以上の「生きたい」という願いを込めて折った鶴が「禎子の折り鶴」と呼ばれています。「禎子の折り鶴」は、「平和を願う象徴」として国内外に知られ、平和への思いを世界に伝えています。

禎子さんは2歳の時に被爆し、10年後の12歳の時に白血病を発症され亡くなりました。禎子さんは、千羽鶴がお見舞いで贈られたことをきっかけに、「千羽鶴を折れば、願いが叶う」と信じて、薬包紙やお見舞いの品の包装紙等で鶴を折り続けました。しかし、8か月の闘病生活の末、家族が見守る中、禎子さんは息を引き取りました。その後、禎子さんが亡くなったことを知った同級生たちが中心となって、原爆の犠牲になった子どもたちの死を悼む像を造ろうという運動が始まり、昭和33(1958)年5月5日、広島平和記念公園に「原爆の子の像」が建立されました。

「禎子の折り鶴」は、大きさ2センチメートル前後の小さい折り鶴です。展示台の上にある拡大鏡からも見ることができます。

「禎子の折り鶴」寄贈の経緯

広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルである佐々木禎子さんが実際に折った「禎子の折り鶴」が寄贈されているアリゾナ記念館がある米ハワイ州・ホノルル市と茅ヶ崎市が姉妹都市であることを知った、佐々木禎子さんの甥でNPO法人「SADAKO LEGACY(サダコレガシー)」副理事長である佐々木祐滋(ささき・ゆうじ)さんから、「両市の交流に役立ててほしい」と平成29年8月15日に「禎子の折り鶴」が寄贈されました。

禎子の折り鶴

金属製の折り鶴「SADAKO」について

「禎子の折り鶴」は、100羽程度しか現存しない大変貴重なもので、材質も紙ゆえに、色の退色と劣化が進行するため、保存が困難な状況にありました。しかし、最新のデジタル技術と精密鋳造技術を掛け合わせることで、「禎子の折り鶴」は紙製の折り鶴から禎子さんの思いと共に金属製の永遠の折り鶴として蘇りました。

金属製の折り鶴「SADAKO」は、平和への思いを未来永劫伝え続けます。

展示台にある拡大鏡から金属製の折り鶴「SADAKO」の羽の裏に刻印されている「G7 HIROSHIMA」という文字を見ることができます。

金属製の折り鶴「SADAKO」寄贈の経緯

平成29年に「禎子の折り鶴」が贈られたことが縁で、先に紹介した佐々木祐滋さんから、先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)にて各国の首脳に贈られた金属製の折り鶴「SADAKO」が、令和5年8月3日に寄贈されました。

金属製の折り鶴「SADAKO」

展示場所について

「禎子の折り鶴」と金属製の折り鶴「SADAKO」は本庁舎1階市民ふれあいプラザに展示されています。

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このページに関するお問い合わせ

文化スポーツ部 多様性社会推進課 多文化共生担当
市役所本庁舎2階
〒253-8686 茅ヶ崎市茅ヶ崎一丁目1番1号
電話:0467-81-7150 ファクス:0467-57-8388
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