広報ちがさき2022年(令和4年)1月1日号4面 No1162 鎌倉時代の幕開けと茅ヶ崎ゆかりの地 平安から鎌倉時代-いざ茅ヶ崎 源頼朝が鎌倉幕府を立ち上げようとした時代、茅ヶ崎市域の支配者は大庭一族でした。一族は相模国高座郡南部の大庭御厨と呼ばれる一帯を治めていたと考えられています。一族のうち、大庭景能は鎌倉幕府の重臣の一人であり、茅ヶ崎にゆかりの深い武士です。景能や頼朝を中心に、この地で活躍した人物とその伝承を紹介します。 茅ヶ崎ゆかりの人物相関図 【凡例】 SP スポット)/ゆかりの地(A~E) CL(茅ヶ崎レベル)/茅ヶ崎とのゆかりの強さ(Lv1~3) Lvは市職員調べ 源頼朝 鎌倉幕府初代将軍 妻は初代執権・北条時政の娘である政子。平治の乱で敗れて伊豆に流されたが、1185年に平氏を滅ぼし、1192年に征夷大将軍となった。 SP ABC CL Lv2 主従 助ける 丹後局 大庭 景能 源頼朝の重臣 相模国で勢力を拡大した鎌倉権五郎景正の子孫。相模国大庭御厨の一画である懐嶋(現在の円蔵、浜之郷、矢畑)を本拠地とした。 SP ACDE  CL Lv3 主従 比企 能員 鎌倉殿の13人の1人 丹後局の兄。源頼朝が伊豆に流された時から仕え、頼朝挙兵以来、平氏追討、奥州征伐にも活躍した。幕府の有力御家人として「13人の合議制」のメンバーになった。 SP A  CL Lv1 主従 稲毛 重成 妻は北条政子の妹 源頼朝や北条時政からの信頼が厚く、御家人として重要な地位を成した。1198年、妻の供養のために莫大な費用をかけて相模川に橋を架けた。 SP B  CL Lv2 妾 怒り 丹後局 伝説の女性 源頼朝の寵愛を受けて、薩摩の島津氏の祖先となる男子を、懷嶋の大庭景能の桜屋敷(西久保)で産んだといわれている。丹後局は伝説上の人物とも考えられている。 SP A  CL Lv2 夫婦 怒り 丹後局 北条 政子 幕府を支えた尼将軍 伊豆に流されていた頼朝と出会い結婚。頼朝の死後に出家し、子の2代将軍・源頼家を後見として支えた。後に、弟であり2代目執権・北条義時と共に政治の実権を握った。 CL Lv1 先祖 先祖 源義経 源 義家 文武両道の武士 平安時代後期の武士で、通称八幡太郎とも呼ばれる。源頼朝と源義経の高祖父。陸奥国の安倍氏を制圧する「前九年の役」や東北地方の清原氏の内紛に介入した「後三年の役」で活躍。 SP D  CL Lv2 兄弟 源 義経 大胆な戦術で敵を翻弄 源頼朝の異母弟。幼少期に京都の鞍馬寺に預けられた。頼朝の挙兵にかけつけ、すぐれた戦略で平氏追討に活躍。その後、頼朝と対立し、奥州平泉の地で自害した。 SP BE  CL Lv2 主従 武蔵坊 弁慶 怪力の荒法師 野別当の子といわれ、武蔵坊と号した。怪力・豪傑として語られることが多い。奥州に落ちる源義経に従い、衣川の戦いで全身に矢を受けて立ちながら息絶えたといわれる。 SP D  CL Lv2