広報ちがさき2021年(令和3年)10月1日号4面 No1159 予防接種は計画的に 子どもを感染症から守る 保健所健康増進課こども健康・予防接種担当☎(38)3331 予防接種のタイミングは、感染症にかかりやすい年齢などをもとに決められています。特に赤ちゃんの予防接種を遅らせると、免疫がつくのが遅れ、重い感染症になるリスクが高まります。子どもの健康が気になるときだからこそ、予防接種は遅らせずに予定どおり受けましょう。 決められた期間内に接種を 法律で定められている年齢や期間内の定期予防接種は、無料で接種できます。対象年齢を過ぎると任意接種となり、全額自己負担になりますのでご注意ください。 市は、定期予防接種の予診票冊子を対象児宛てに送付しています。子宮頸がん予防ワクチンの予診票は送付していませんが、定期接種期間内(小学6年~高校1年相当の年齢の女子)であれば無料で接種できます。予防接種実施医療機関や詳細は、市HPをご確認ください。 秋のかながわ献血キャンペーン 継続的な献血にご協力を 保健所地域保健課地域保健担当☎(38)3314 新型コロナウイルス感染症が拡大する中でも、県内では毎日約900人の患者さんが輸血を必要としています。命を守るため、献血にご協力ください。 血液を安定して届けるために 輸血用血液の有効期間は最短4日と短く、患者さんに安定して血液を届けるためには、みなさんの継続的な献血が欠かせません。献血会場では密集や密接を避けるため、予約による献血をおすすめしています。なお、ファイザー社とモデルナ社の新型コロナワクチン接種後は、48時間が経過していれば献血できます。 今年度の街頭献血予定 日時 毎月第一月曜日10時~12時・13時45分~16時(2022年1月は4日(火)) 場所 さがみ農協茅ヶ崎ビル南側 対象 17歳~69歳の男性、18歳~69歳の女性(65歳以上の方は男女とも60歳~64歳に献血をした経験がある方)で、いずれも体重50kg以上の方 予約は専用ダイヤル☎0120(80)9995へ 茅ヶ崎ゆかりの人物たち 第二十一回 佐々木 卯之助  江戸時代の和流砲術師範の一人であった佐々木卯之助は、1795年に佐々木伝左衛門の子として生まれました。1824年に幕府大筒役となり、幕府直轄領の鉄砲場(大砲などの練習場)で行われる大筒(大砲)演習の指揮に当たっていたといわれています。 湘南の鉄砲場  茅ヶ崎海岸から辻堂海岸沿いには、徳川吉宗の享保改革の一環で、江戸幕府の鉄砲場が1728年に設置されました。鉄砲方役人たちの砲術鍛錬の場として、また、幕府の軍備・軍事力の低下を防止するため、明治維新までの約140年間利用されました。当時茅ヶ崎海岸は幕府直轄領で、鉄砲場には幕府の役人たちが交代で来て、大砲の操作や発射訓練を行っていました。 佐々木卯之助事件  佐々木家は1725年に将軍吉宗に登用された旗本でした。祖父以来の砲術師範で、鉄砲場の管理役でもあり、場内の開墾の許認可にも関与していました。家族と奉公人合わせて11人を抱え、使用人の費用にも困っていた卯之助は、耕作地を増やしたいという願いがあれば百姓の開墾を黙認し、幕府への届け出をせずに、試作田から得た収益を鉄砲場内の諸経費や夫役代(労働奉仕)の支払いなどに使っていました。  1832年、一帯の幕府直轄領の代官であった江川英龍の検地によって父伝左衛門の試作田開発から続く開墾の黙認が発覚し、3年後の判決で合計26人もの関係者が処罰されました。卯之助と伝左衛門は伊豆の離島青ヶ島へ遠島の判決を受けましたが、伝左衛門はすでに亡くなっていたため、卯之助の長男菊次郎と共に翌年江戸から送られました。卯之助はこの時、42歳でした。  明治時代に入り赦免されましたが、菊次郎と共に青ヶ島を離れることはなく、1876年に82歳で亡くなっています。 追悼記念碑の建立  事件の中心人物である卯之助でしたが、天保の大飢饉に見舞われていた当時、民の惨状を目の当たりにし、試作田を幕府の支配から守ってくれたのではないかと、明治以降の茅ヶ崎の人々には好意的に受け止められていました。  卯之助の死後、1898年に茅ヶ崎村長が発起人となり「佐々木氏追悼記念碑」が南湖に建立されました。その後何度か場所を変え、現在は東海岸北5丁目、鉄砲道の旧道と新道の分かれ道に建っています。 【文化生涯学習課市史編さん担当】 市民文化会館からのお願い 新型コロナワクチン集団接種会場が開設されているため、1階入り口付近が混雑しています。ホール・練習室・会議室の利用や申し込みなどでご来館の際は、2階入り口からの入館をお願いいたします。【市民文化会館☎(85)1123】