広報ちがさき2021年(令和3年)8月1日号4面 No1157 近くて便利 住民票などの手続きは、最寄りの支所・出張所・市民窓口センターで 市では、各地域の窓口として計6か所の支所・出張所・市民窓口センターを設置しています。市役所の開庁時間外や土・日曜日、祝日に一部開設している窓口もありますので、ぜひご利用ください。 【市民課戸籍住民担当、小出支所総務担当】 主な取り扱い手続き 詳細は市HPでご確認ください 住民票の写し、戸籍謄本、印鑑登録証明書などの交付 市税、保険料などの納付 住民異動届・戸籍届出の受付(支所・出張所のみ) 国民健康保険、子育てなどに関する手続き(支所・出張所のみ) 香川駅前出張所 ☎(85)6700 月〜金曜日 8時30分〜17時(祝日 ・ 年末年始を除く) 萩園市民窓口センター ☎(88)7514 月〜金曜日 8時30分〜17時(祝日 ・ 年末年始を除く) 小出支所 ☎(51)0005 月〜金曜日 8時30分〜17時(祝日・年末年始を除く) 茅ヶ崎駅前市民窓口センター ☎(87)6666 月・金曜日 11時〜19時30分 土・日曜日、 祝日 8時30分〜17時(年末年始を除く) 辻堂駅前出張所 ☎0467(82)8182 月 ・ 水 ・ 金曜日 8時30分〜17時 火 ・ 木曜日 8時30分〜19時30分(祝日 ・ 年末年始を除く) ※ ‌17時以降の取り扱い業務は、各種証明書の交付(一部予約)と市税・保険料などの納付、図書の返却のみ 茅ヶ崎ゆかりの人物たち 第20回 小澤昌順 小澤昌順は1844年、矢畑村の医師である小澤賢順の長男として生まれ、父の医業を継ぎました。茅ヶ崎に天然痘が流行したときは「種痘(予防接種)医」として周辺の村々を巡回し、流行拡大の防止に尽力しました。 天然痘の流行 小澤家は代々、農業と医業を営み、祖父・父の代からは自宅で寺子屋も開いていました。そこには茅ヶ崎のあちこちから子どもたちが通ったといわれています。昌順も父の後を引き継いでいました。 1861年、江戸で天然痘が流行し、2年後には茅ヶ崎でも流行しました。天然痘は伝染力が非常に強く命にかかわる疫病で、古くから周期的に流行し多くの人を苦しめてきました。日本で初めて天然痘の予防接種が行われたのは1849年、長崎オランダ出島商館の医師モーニッケによる種痘でした。以降次第に普及して、1858年に幕府が江戸に種痘所を設置しています。 福沢諭吉が送った書簡 昌順が22歳のときに父賢順が亡くなり、医業を継承することになりました。1870年、神奈川県から種痘医の命を受け、現在の寒川町・平塚市・伊勢原市・秦野市・大磯町で種痘を行いました。 当時、天然痘だけでなく、麻疹やコレラなどの感染症も流行していました。漢方医であった昌順は今後さらに西洋医学を学ぶ必要性を痛感し、翌年、藤沢宿に滞在していた福沢諭吉を訪ね、然るべき医師に教えを受けたいと協力を求めました。諭吉は昌順の医学への思いに感銘を受け、希望がかなえられるよう諭吉の主治医で書店「丸善」の創始者、早矢仕有的へ書簡を送りました。これは現在も小澤家で所蔵されています。 有的から西洋医学を学んだ昌順は、南湖にも出張所を置き、種痘やその他の治療を行いました。また、寺などで児童の集団接種を行い、天然痘が流行したときには村の依頼で臨時種痘所を開きました。1886年に、種痘施術の功労者として県から表彰されています。 医療の傍ら村会議員に 昌順は医業の一方で、1880年から矢畑・円蔵・西久保・浜之郷4村の行政事務の責任者・学務委員(公立小学校の教育事務を担当する常設委員)となり、鶴嶺村成立後は村の村会議員を長く務めました。萩園村の名主で県会議員の菊池小兵衛とは明治初年以来交友があり、政治活動をともにしましたが、1906年12月、63歳で病により亡くなりました。 【文化生涯学習課市史編さん担当】 福沢諭吉の書簡(1871年) 1870年ごろの小澤昌順 Choice!CHIGASAKI もっと知りたい! Choice!CHIGASAKI 市役所産業振興課のインスタグラムをリニューアルしました。市内のお店やイベント・撮影地、オリジナルブランドChoice!CHIGASAKIなどの情報を発信します。「chigasaki_nigiwai」で検索を。 【産業振興課道の駅整備推進担当】