広報ちがさき2021年(令和3年)6月1日号5面 No1155 ひとり親世帯への生活支援特別給付金 対象児童一人につき5万円を支給 新型コロナウイルス感染症の影響が長期化する中で、低所得の子育て世帯へ子育て世帯生活支援特別給付金(ひとり親世帯分)を支給します。 【子育て支援課手当給付担当】 対象者 ①2021年4月分の児童扶養手当を受給している方 ②公的年金等を受給していることにより、2021年4月分の児童扶養手当の支給を受けていない方(児童扶養手当の支給制限限度額を下回る場合のみ) ③2021年4月分の児童扶養手当は受給していないが、新型コロナウイルス感染症の影響を受けて家計が急変し、収入が児童扶養手当の受給者と同じ水準になっている方 支給額 対象児童一人につき5万円 申請方法 ①申請不要。4月16日付けで送付した案内通知をご確認ください ②③申請が必要。受付期間は2022年2月28日㈪まで(郵送の場合は当日消印有効)。支給条件や申請に必要な書類は市HP参照 子育て世帯生活支援特別給付金 市民の活動だより 【ちがさき市民活動サポートセンター☎(88)7546】 茅ヶ崎断酒新生会 「アルコール依存症」に悩む人が、自身の体験や思いを語り、聴き、互いに支え合いながら、新しい人生を明るく生きるための活動をしています。 宮坂久喜代表(県知事委嘱酒害相談員) 互いに協力し心身の健康を回復する居場所に 大量飲酒による健康障害や社会問題を正しく理解し、互いの絆を深め、穏やかな生活を取り戻すべく、40代~80代の約20人が所属。会は明るい雰囲気があり、初めての方も安心して参加できます。月4回の例会やZoomを使ったオンライン例会、飲酒運転撲滅キャンペーンへの参加など幅広く活動しています。 会員が「断酒継続1年表彰」を受けたとき、本人と一緒に喜びを分かち合えることがやりがいです。秘密は厳守しますので、お気軽にご相談、ご参加ください。 活動日  第1・第3土曜日、第4木曜日いずれも18時45分~20時45分、 第4土曜日13時30分~15時30分(オンライン例会は不定期) 場 所 寒川総合体育館(寒川町宮山)、市保健所、鶴嶺東コミュニティセンター 問 合 宮坂久喜☎(54)2175、5963 電子メールmiyasan@gmail.com 例会ではそれぞれの体験談を共有 茅ヶ崎断酒 新生会HP 茅ヶ崎ゆかりの人物たち 第十九回 上原 謙 1930年代に日本映画屈指の人気俳優となった上原謙。茅ヶ崎の自宅は雑誌などにたびたび登場し、市は「上原夫妻が暮らす町」として全国に知られるようになりました。JR茅ケ崎駅南口と国道134号を結ぶ県道310号は当時「上原謙通り」と呼ばれました。 松竹への応募から人気俳優へ 上原謙(本名・池端清亮)は1909年、東京市牛込区(現在の新宿区)に生まれました。中学時代から音楽に親しみ、立教大学進学後もオーケストラ部で活動していました。当時から茅ヶ崎に避暑用の別荘を借り、海岸で仲間たちと売店兼喫茶店を開くこともありました。石油会社に就職が決まっていましたが、学友が本人に無断で松竹蒲田撮影所の新人公募に応募したのをきっかけに、1935年松竹に入社。同年『若旦那・春爛漫』の脇役でデビューし、翌年公開の『彼と彼女と少年たち』で主役を演じました。上品で知的、さわやかな二枚目として人気を得、演技力も高く評価された上原は佐野周二、佐分利信とともに「松竹三羽烏」と称され、1930~40年代の松竹を支える俳優の一人となりました。 小桜葉子との結婚と茅ヶ崎 1936年、松竹の俳優で岩倉具視のひ孫である小桜葉子と結婚しました。翌年には長男・直亮(後の加山雄三)が生まれ、 1939年、病気がちだった直亮の健康のため、茅ヶ崎に自宅を構えました。上原自身も幼少期に海水浴で体が丈夫になったことが、海に近い茅ヶ崎で暮らすきっかけの一つになったと、後年に回想しています。 1938年に主演した『愛染かつら』が空前のヒットを記録し、人気を不動のものとしましたが、自身はメロドラマであるこの作品を嫌い、戦時中は軍人役やペテン師役などさまざまな役に挑戦しました。戦後は松竹を退職し、フリーとなった後に東宝の専属俳優となりますが、舞台出演中に倒れて健康を害したこともあり、映画への出演を減らしていきました。 直亮は「加山雄三」の芸名で1960年に東宝からデビュー。人気となった「若大将」シリーズでは上原も出演しています。 親子で茅ヶ崎のランドマークのオーナーに 1965年、上原は加山とともに、妻葉子の弟が経営していたレジャー施設「パシフィックパーク茅ヶ崎」のオーナーになりました。施設内の「パシフィックホテル茅ヶ崎」は市のランドマークとして知られ著名人も多く訪れました。後にブレッド&バターや、サザンオールスターズの曲のタイトルにもなっています。葉子は茅ヶ崎の自宅で美容体操教室を開いていましたが、1970年に52歳の若さで他界。同年パシフィックパーク茅ヶ崎の運営会社が倒産したため、上原と加山は多額の借金を背負うことになりました。 その後上原はテレビに活動の場を広げ話題となるものの、1991年、当時同居していた加山宅で倒れ、急性心不全のため82歳で亡くなりました。 かつての「上原謙通り」は、「雄三通り」という名で現在も親しまれています。 【文化生涯学習課市史編さん担当】 1954年の上原謙 (東宝株式会社) 松林公民館の配信講座 ①子育てオンラインフリースペース(6月17日(木)10時~11時)②子どもの広場「七夕リース作り」(6月26日㈯10時~11時30分)いずれも申し込みは市HP参照。申込期間①6月1日㈫〜6月16日㈬②6月4日㈮〜6月23日㈬ 【松林公民館☎(52)1314】