広報ちがさき2021年(令和3年)1月1日号4面 No1150 新年をきっかけに禁煙スタート 新年を迎えたばかりのこの時期は、何かを始めるには絶好のタイミングです。健康のために禁煙を始めてみませんか。 【保健所健康増進課健康づくり担当☎(38)3331】 禁煙を成功させるポイント 禁煙開始日を設定し禁煙宣言する 記念日や1の付く日など覚えやすい日、喫煙本数に波がある方は本数の少ない日から開始するとよいでしょう。禁煙する理由を書き出しておくと、つらくなったときに初心にかえることができます。また、禁煙を宣言すると周囲の人の協力が得られ、意欲が高まります。 吸いたい気持ちへの対処法を見つけておく 禁煙開始後2、3日をピークに喫煙欲求や、眠気、イライラするなどの離脱症状(禁断症状)が現れるので、あらかじめ対処方法を考えておきましょう。 対処例 お茶を飲む、深呼吸する、歯を磨く、ストレッチや散歩をする、など 薬を上手に使う 薬局や薬店で購入できるニコチンガムやニコチンパッチ、禁煙外来で処方される禁煙補助薬を使うことで、自分の力だけで禁煙するよりも楽に禁煙することができます。 随時受付 禁煙サポートの活用を 「一人で続ける自信がない」という方は、禁煙サポートを活用ください。保健師が電話や面談で禁煙方法の紹介や禁煙継続のサポートを行います。詳しくは保健所健康増進課までお問い合わせください。 今こそオンライン講座で学びを 生涯学習支援セミナー 市は市民のみなさんの生涯学習を支援する講座を、寒川町との広域連携施策推進事業として毎年開催しています。今年は、オンライン講座の開催に役立つビデオ会議システム「Zoom」の機能やSNSを活用した広報戦略術をZoomを使ってオンラインで紹介します。自ら講座を開催できるようになって発信のチャンスを広げませんか。【文化生涯学習課生涯学習担当】 第1回 Zoomの使い方を取得して、自主企画講座や会議に役立てよう! 講座開催に役立つZoomの機能やオンライン上で講座を開催するコツを紹介します 日時 1月25日㈪13時~15時 講師 今井房子さん(株式会社コミュニティネット) 第2回 SNSを活用した広報戦略術 紙媒体、ホームページ、SNS各種の違いや媒体別の活用方法をお伝えします 日時 2月9日㈫13時~15時 講師 秋本創さん(NPO法人埼玉情報センター) 対象 Zoomの使用経験がある方各回30人〈申込制(抽選)〉 申込 第1回 1月4日㈪~15日㈮    第2回 1月4日~29日㈮にいずれも市HPで 生涯学習支援セミナー 茅ヶ崎ゆかりの人物たち 第十七回 高橋 誠一 東洋一の結核療養所と呼ばれた南湖院で副長を務めた高橋誠一。地域医療のリーダー的役割を果たし、さらには茅ヶ崎の幼児教育の発展に貢献しました。 畊安に憧れ、南湖院へ 高橋は1883年、宮城県志波姫村(現・栗原市)に小学校教員の子として生まれました。医師を志して、仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)に入学。施術を学び、現場の医師として医療界に尽くすことが自分の使命であると悟った頃、新聞小説で目にした南湖院の院長で、当時、内科医として重きをなしていた高田畊安に理想像を描くようになりました。 1909年、畊安の下で学びたいという念願がかない、南湖院に入職。翌年には副長に就任します。5年後、同僚医師の土岐美也子と結婚。入職後にキリスト教の洗礼を受けた高橋の結婚式は、東京の畊安の邸宅で行われ、キリスト教牧師でのちに同志社大学総長となる海老名弾正が司会をしました。 1921年、茅ケ崎駅北口に開設された製糸工場純水館の工場医を嘱託されます。同年には美也子夫人が独立して生泉堂医院を開業し、南湖院勤務のかたわら診療を行うなど茅ヶ崎で着実に医師としてのキャリアを積んでいきます。 茅ヶ崎初の幼稚園を創立 クリスチャンの高橋は、キリスト教の信徒団体「恵泉会」の集会と南湖院で日曜学校を始めました。これらの活動が母体となり1928年に茅ヶ崎美普教会(後に茅ヶ崎教会と改称)が組織され、その茅ヶ崎教会から分離独立する形で茅ヶ崎恵泉教会が設立されました。早くから教育、とりわけ幼児教育に関心を寄せていたことから、1940年に茅ヶ崎で最初の幼稚園となる恵泉幼稚園を創立、園長に就任しました。 その他、茅ヶ崎小学校の校医として40年近く学童保健に献身、戦後は白十字会林間学校校長、平和学園幼稚園園長を歴任するなど教育面でも地域に貢献しました。 戦後、南湖院の復興を試みる 戦時中、茅ヶ崎海岸に米軍が上陸すると想定した海軍は、南湖院の一部を接収。1945年2月に畊安が亡くなると、さらに海軍は全面接収に向けて動き出しました。終戦後、海軍が引き上げ、畊安の息子たちと南湖院の復興に向けて活動しますが、米軍が駐屯地として利用し、ついに再建されることはありませんでした。 地域医療に寄与した高橋を名誉市民に推挙しようとする声が高まりましたが、畊安こそ生前受けるべきであったとして固辞の姿勢を貫きました。戦後は茅ヶ崎町会議員・市会議員や初代教育委員長、茅ヶ崎医師会会長などを務め、1968年に84歳でその生涯を閉じるまで、茅ヶ崎の医療、教育の発展に尽くしました。 【文化生涯学習課市史編さん担当】 1967年頃の高橋誠一