学んだ支え合いの精神  80年余りのプロ野球の歴史の中で、最も長い32年の現役生活を送ったのが、本市にゆかりのある山本昌さんです。50歳まで現役を続け数々の記録を樹立。長きに渡る現役生活の中でスポーツの難しさを味わう一方で、その魅力や楽しさも感じてきたことも多いはずです。この特集では、茅ヶ崎を訪れた山本さんに「スポーツの力」を聞きました。  山本さんは1983年にドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。スクリューボールを武器に、球界屈指の左腕として活躍。2014年には49歳でプロ野球最年長勝利を記録、翌年にはプロ野球最年長登板記録を樹立した、まさに球界のレジェンドです。  久々に茅ヶ崎を訪れた山本さんは母校の松林中学校で野球部、サッカー部、ソフトボール部の部員のスポーツに関する質問に丁寧に答えました。野球部の投手二人に投球の基本を身振り手振りで伝授。部員はしばらく投げると最初よりも伸びのあるボールを投げ、笑顔を見せました。  その後、今年3月にオープンする柳島スポーツ公園を見学。実際に競技場を歩いていただきました。球界のレジェンドは茅ヶ崎のスポーツの今後を担う施設に何を思ったのか。そして、山本さんが感じたスポーツの素晴らしさ、茅ヶ崎の子どもたちに伝えたいこととは…。 控えだった中学時代 ――プロ野球選手というと小さい頃から運動神経抜群というイメージがありますが、どんな子どもでしたか?  活発な子どもだったと思います。性格的には、前に出ることが好きで、クラスでも目立つ方でした。ただ、運動神経抜群ということはなく、体育の成績は満点の10を取ったことはありませんでした。体は大きかったのですが、運動神経がついていってなかったです。中学生の頃は、松林中学校の広い校庭で、野球にのめり込んでいました。でも、部活動には「文武両道」の方針があったので、勉強も頑張っていました。 ――中学時代はレギュラーではなかったと聞きました。何かきっかけがあったのですか?  中学の3年間はずっと控えでした。進学も野球の強豪校ではない学校に行く予定でした。変わるきっかけは3年生の最後の大会で、エースがけがをして、自分にチャンスが回ってきたことです。私はその試合で好投し、その投球が日大藤沢高校の監督の目に留まり、強豪校へ進学することになりました。これが自分の野球人生の大きな転換点だったと思っています。チャンスはいつ回ってくるか分からない。諦めず努力することが大事だと感じました。 家族、ファンの応援が力に ――その後、高校でも活躍し、プロ野球を代表する選手になられました。50歳まで現役生活を送られ、スポーツの楽しさと苦しさどちらも味わってこられたと思います。そんな山本さんが考えるスポーツの素晴らしさとは何ですか?  スポーツは、さまざまなことを学べることが素晴らしいと思います。私は子どもの頃から家族や友達が盛り上げてくれる環境で、自分は選手としてその期待に応えるために努力してきました。そういった意味では、スポーツは自分に「支え合う」ことの大切さを教えてくれたと感じています。  支え合いは、プロになってからはファンのみなさんとの関係でも築かれました。ファンの声援や応援ってすごく力になるんです。試合で苦しい場面でも、応援してくれるファンの声援があって、踏ん張れた場面がたくさんありました。長く現役を続けられたのもみなさんの支えがあったからだと思います。  ――人間関係が希薄といわれる現代ですが、日常生活の中ではなかなか支え合うことが少なくなっていると思います。スポーツを通して学ぶことは大きな意義がありますね。  人と人とが支え合うことで責任感が芽生え、それは人を成長させます。他にもスポーツを通して仲間の大切さや、我慢強さ、最後までやりきること、努力することが学べると思います。  仲間と共に過ごした時間は貴重で、今でも中学校の仲間とは飲みに行くぐらい仲が良いんですよ。 スポーツを楽しんで ――2015年に現役を引退され、野球解説者の傍ら、子どもたちに指導することも多くあると思いますが、必ず伝えていることはありますか?  子どもたちにはスポーツを楽しんでほしいので「けがをするなよ」ということは必ず伝えています。けがをしたらせっかくの好きなスポーツを楽しめなくなりますから。指導するときに一番気を付けています。   けがをしないためには、基本が大事です。正しい投げ方や捕り方、打ち方をすることです。それはプロの世界でも変わりません。私自身、松林中学時代に基本を徹底的に教えられました。あの時の教えがなければ50歳まで現役でいられなかったし、ましてやプロにもなれなかったと思います。32年間もプロで野球ができたのは小学生・中学生の頃の先生のおかげだと思います。 ――スポーツの成長には良い指導者がとても大切なんですね。指導する上で、大切にしていることは何ですか?  自分の経験から考えて、良い指導者との出会いは大事だなと思います。だから、指導する方は、自分の指導で子どもの将来が変わるという意識を持って、しっかり勉強してほしいです。  教えるのは技術だけではありません。礼儀やマナーなどもしっかり教えられる指導者が良い指導者だと考えます。人間的にも成長させてくれる人が良い指導者の条件です。 ――プロ時代もいろいろな指導を経験したと思いますが、どの指導者が印象的ですか?  一番、印象に残っているのは星野(仙一)監督ですね。とにかく厳しい方でした。ただ、その指導がなければ、プロ野球選手として開花していなかったと思います。たくさん叱られましたが、叱られながらもそれに応え、試合でも使ってくれました。私を選手としても人間としても成長させてくれた監督でした。  指導は正解が一つではありません。私は星野監督のようなカリスマ性がある方ではないので、精神論というよりも、技術論のほうが肌に合うかなと思います。精神論に伴った技術を教えていきたい。「なんとかせい!」ではなく、「こうなったらこんな風に動くんだ!」と。私もそういう技術を突き詰めてきたので、正しい形、力の出るような形というのを次の世代に伝えていきたいです。 茅ヶ崎は適した環境 ――茅ヶ崎の話を伺いたいと思います。久々に訪れた故郷はいかがですか?  私は小学6年生のときに横浜から引っ越してきたのですが、茅ヶ崎はすごく伸び伸びしているイメージです。何より自然の中で遊べるところがいいです。昔よりだいぶ減りましたが、運動できる場所も多いと思います。山や砂浜で遊べるのは野球だけではなく、サッカーなど他のスポーツをするにしても、とても良い環境じゃないかなと思います。 ――その茅ヶ崎に今年3月、市のスポーツ拠点になる施設、柳島スポーツ公園がオープンします。オープン前ですが、見学された感想は?  いろんなスポーツができる施設は素晴らしいですね。ここでイベントをすれば、茅ヶ崎のスポーツがより盛り上がりますよね。オリンピックもありますし、スポーツの振興に貢献していくと思います。  スポーツする子どもが減っているといわれている今だからこそ、こういった施設で思い切り楽しさを知ってほしいですね。それがきっかけで、スポーツを好きになる子が増えてほしいです。 茅ヶ崎を盛り上げたい ――多分野でご活躍中ですが、山本さんの今後の活動や抱負は?  現在、アマチュアの指導資格の取得を目指しています。資格を取れば、指導の幅が広がり、例えば、母校の松林中学校や日大藤沢高校で臨時コーチなどもできます。  自分が持っている技術などを教えることで、野球界全体の底上げをしたいです。もっと言えば、プロアマの規定で指導が自由にできないという現状を変えていきたいとも思っています。野球だけではなく、茅ヶ崎の他のスポーツもプロとアマチュアの垣根なく盛り上げていければと思います。  茅ヶ崎に恩返しできることがあれば、すぐ飛んで来ますよ。また、他の茅ヶ崎出身のOBの方々と協力してスポーツ教室を開いてみたいです。みんなの力で盛り上げて、茅ヶ崎の子どもたちが将来、大舞台で活躍してもらえればうれしいです。 ――最後に、スポーツに励む茅ヶ崎の子どもたちにメッセージをお願いします。  子どもたちには「やるなら区切りまでやりきれ」と言っています。例えば中学・高校なら3年間最後までやりきるようにと。  スポーツに集中して取り組める時間って意外と少ないんです。野球でいうと9割以上の人は、大学や社会人までいかずに高校野球まででスポーツに没頭する生活を終えます。子どもたちには、後悔はしてほしくありません。頑張れるときに頑張って、そしてスポーツを目いっぱい楽しんでください。 やまもと まさ(52)  本名 山本昌広。1965年生まれ。松林中学、日大藤沢高校を経て、ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。投手として最多勝に3度、1994年には投手の最高の名誉である沢村賞を受賞。2014年には49歳で白星を挙げ、プロ野球最年長勝利を記録する。2015年に50歳で引退し、現在は野球解説の傍ら、ラジコンやクワガタのブリーダー、競馬の分野でも活躍中。茅ヶ崎市民栄誉賞も受賞。 スポーツ推進課長に聞く 3月開園 柳島スポーツ公園 スポーツを始めるきっかけに  3月25日?に開園予定の柳島スポーツ公園。公認の陸上競技場やテニスコート、さまざまなプログラムが可能なスタジオなどが建設されます。また、茅ヶ崎市では初のPFI事業※であり、民間のノウハウを生かした事業として進められています。施設完成により、市のスポーツ政策は大きな転換期を迎えます。そこで、スポーツ推進課の大川哲裕課長に施設の特徴やスポーツ政策の展望を聞きました。 ――いよいよ3月に開園を迎えます。建設に至る経緯を教えてください。  具体的な検討が始まったのは2003年。国では相模川の堤防の整備や、新湘南バイパスの延伸をする計画があり、市としてこれらの事業に協力するため、既存の相模川河畔スポーツ公園を移転することにしました。その後、汐見台や小出など市内複数の候補地の中から、2007年に当該地での建設が正式決定しました。 ――市初のPFI事業として実施されています。そのメリットは?  これまでの公共事業では「設計」や「建設」、「運営」などの各業務を分割し、年度ごとに発注していました。今回のPFI事業では特別目的会社(茅ヶ崎スマートウエルネスパーク株式会社)を設立し一括して設計・建設・維持管理・運営などの業務を行います。そのため民間企業のノウハウが発揮され、事業の効率化が期待されています。  施設完成後は、特別目的会社が指定管理者となり20年間にわたり維持管理・運営を行います。サッカーの湘南ベルマーレや元プロテニス選手の杉山愛さんが代表を務める法人も協力企業に名を連ねています。トップアスリートが講師を務めるスポーツ教室など今までになかった企画が行われる予定です。市民のためにリーズナブルに経験できる数々の魅力的なプログラムが用意されます。 ――スポーツ教室などの具体的なお話がありましたが、施設の売りや特徴は?  まず、茅ヶ崎市に初めて全天候型の公認陸上競技場が完成します。この競技場で生まれた記録は公認記録となり、ジュニア選手の育成にも繋がります。  また、施設利用の観点ですと朝6時30分から22時までと利用時間が大幅に広がります。日中に仕事をしている方も仕事帰りに使うことができるようになります。 ――機能的でとても便利な施設ということですね。市民のみなさんにどのように利用してほしいですか?  公園のコンセプトは「スポーツを始めるきっかけづくり」です。今までスポーツの習慣がなかった人たちが体を動かすきっかけにしてほしいと考えます。  特徴は競技場だけではありません。クラブハウスにあるレストランでは、カロリーや栄養バランスに配慮した健康に適した食事が提供されます。また、二つあるスタジオではダンス、ヨガ、エアロビクスなど屋内での運動が可能です。さらには鍼灸やマッサージなど健康コンディションづくりの場も提供します。本格的な施設で気軽に幅広い年齢層の方に利用してほしいです。 ――2020年には東京五輪が開催されますが、スポーツ政策の今後の展望は?  この施設を東京五輪の事前キャンプ地として諸外国の選手たちに活用してもらいたいと考えています。茅ヶ崎は東京から近く、本番同様の気候環境なので選手たちが順応するには適しています。市民のみなさんにも五輪を身近に感じてもらう機会なのでぜひ誘致を実現していきたいです。  スポーツは健康増進にとって大事な役割を担っているので多くの方にスポーツに親しんでもらいたいです。今後、五輪に向けてスポーツに対する関心が高まることが期待されるので、それに応えていきたいと考えています。 ※PFI事業…Private Finance Initiativeの略称。民間の資金、経営能力や技術力(ノウハウ)を活用して公共施設などの建設、維持管理、運営などを一括して行う手法。低廉かつ良好なサービスの提供が期待される。