3月5日(日)14時~16時 ちがさき宇宙教室~東大生から学ぶ ロケット教室と実験ショー  毎回、 好評のちがさき宇宙教室。 37回目の今回は、 東京大学サイエンスコミュニケーションサークル(CAST)を招き、 ロケットについて分かりやすく解説します。 また、 さまざまなロケットに関する実験を行います。 【青少年課育成担当】 場所 県藤沢土木事務所汐見台庁舎なぎさギャラリー 対象 小学生以上の方100人〈申込制(抽選)。 小学生は保護者同伴〉 申込 2月17日㈮(必着)までにはがきに住所・氏名(5人まで可)・年齢・電話番号を記入し、〒253-8686 茅ヶ崎市役所青少年課へ(持参、市HPも可) 乾電池作り(第33回宇宙教室) CASTの解説に真剣な表情の参加者 教えて! ホノルル えぼし岩にそっくりな島 「チャイナマンズハット」  ホノルル市・郡のあるオアフ島の東側カネオヘ湾に、無人島「モコリイ島」が浮かんでいます。この島の形がかつての中国系移民の方々がかぶっていた帽子に似ていることから「チャイナマンズハット(中国人の帽子)」と、現地のみなさんから親しみを込めた愛称で呼ばれています。形も名前の由来もえぼし岩に似ていますね。  昨年12月に開催されたホノルルへの市民ツアーでも、 参加者のみなさんがチャイナマンズハットを一望できるクアロアの海浜公園を訪れました。 「サザンビーチから見たえぼし岩と比べて、 クアロアから見るチャイナマンズハットが、 とても大きくてびっくりした」、 「形や雰囲気がえぼし岩にそっくりで、 親近感がわいた」と感激した様子でした。  これからも、姉妹都市交流のシンボルとして大事にしていきたいですね。 【秘書広報課姉妹都市担当】 チャイナマンズハットはえぼし岩と同じ無人島ぞよ! 茅ヶ崎でお店をはじめました 〜創業物語〜 【産業振興課商工業振興担当】 きくやマルシェ 白倉(しらくら) 由果(ゆか)さん 生まれ育った地元でジャム専門店を開きたい  「信州に12年間暮らしていました。信州ではジャム専門店も多く、家庭でもジャム作りが盛んです。それぞれの家庭の味があってとてもユニークなんです」。店主の白倉由果さんは、そうした経験とホテルやカフェの勤務で学んだジャム作りのノウハウを生かし、いつしか「地元湘南でジャム専門店を開店したい」と思うようになりました。  12年後、信州から湘南へ戻った白倉さんは、イベントなどで手作りジャムを販売。そして、2015年9月に、生まれ育った鶴嶺通りにお店をオープンしました。  「店舗が2階で入りづらく、創業してしばらくは、自分で1階の入口に立ってお店の案内をしたり、近所にチラシを配ったりしました」  努力は報われ、徐々に来店客も増加。また、常連の方の紹介もあり、今では少しずつお店を知る方も増えました。 旬の素材を生かした完全無添加のこだわり  店内には、素材の旬を大切にした、完全無添加の色とりどりのジャムが並んでいます。  「私は作り手の気持ちが商品の味に出ると思います。お客さまに『優しい味がしました』という感想をいただきました。穏やかな気持ちで作っているのが伝わるとうれしいです」  1月には、ジャムなどの商品をその場で食べてもらうために、併設するカフェをオープン。「商品をその場で食べることのできるカフェがあればいいのに、という声をいただき背中を押された感じです」  「今後は、地元の素材を使った商品を増やしていきたいです。また、信州には魅力的な食べ物がいっぱいあります。お年寄りの方に知恵や技術を教えてもらい、そういったものも絶やすことのないように湘南地域にも紹介していきたいと思っています」  白倉さんのジャム作りの世界は、ますます大きく広がっていきます。 湘南ポモロンなど、地元の食材で作ったジャムが並ぶ 店舗情報 住  所:矢畑260-1 2階 電話番号:(40)4067 営業時間:12時~18時 定 休 日:月曜日(祝日の場合は翌日休み) 駐 車 場:3台 お得な情報 ご覧の広報ちがさき2月1日号を持参するとお会計合計額より10%割引します。 サービス期間:2月28日(火)まで 湘南広域ニュース 今回のテーマは各市町の「駅」です 〈茅ヶ崎市〉 来年で120周年茅ケ崎駅  茅ケ崎駅は、江戸時代の宿場である藤沢・平塚などに停車場が設置された後、住民らによる設置運動を経て茅ヶ崎停車場として1898年に開業し、来年で120周年を迎えます。開業当時の駅周辺には芋畑や葦原が広がり、駅舎も平屋建てで、1日の乗降客は200人程度でした。  そして、駅の開設は多くの著名人や高級官僚などを呼び込み、別荘地や海水浴場として茅ヶ崎の発展をもたらしました。戦時中にも軍需産業の生産物輸送拠点として重宝され、戦後は相模線と東海道線が接続し、占領軍の厚木基地などへの輸送上の重要な駅となりました。高度成長期による東京、横浜の都市化や、駅ビルのオープンなどを経て、現在の24万人が暮らす茅ヶ崎市の発展へ大きな役割を果たしています。 問合 秘書広報課広報担当 1950年頃の茅ケ崎駅 〈寒川町〉 1984年に廃止された西寒川駅  相模線寒川駅の西方約1㎞の地点に、1984年まで西寒川駅がありました。  ひと駅だけのこの支線は、1922年に相模川の砂利を運ぶ貨物線として敷かれたものです。寒川〜四之宮間の中間駅として設けられた東河原駅が西寒川駅の前身です。当初は貨物専用の駅でしたが、1938年〜1945年は、近くの工場や海軍の施設への通勤のため旅客営業をしていた時期もありました。  戦後も付近に進出する工場が増え、通勤の足を確保する必要が生じたため、1960年に旅客営業を再開しました。当時の運行本数は、朝1本、夕方2本の計3本のみでした。利用者は次第に減り、1984年3月末で廃止になりました。  1989年、駅の跡地は八角広場、線路の跡地は一之宮緑道として整備され、町民の憩いの場となっています。 問合 寒川文書館☎(75)3691 駅舎はなく、ホームのみだった西寒川駅 〈藤沢市〉 住民の請願により完成した辻堂駅  1887年に藤沢停車場(藤沢駅)が開設されると、辻堂で生産される野菜や魚介類が東京・横浜方面へ出荷されるようになりました。しかし、現在とは違って自動車などがない時代なので停車場までの長い距離を運ばなければなりませんでした。明治の末ごろになると、海軍の辻堂演習場への物資輸送と辻堂周辺の発展のために、辻堂駅設置の気運が高まりました。そして、地域住民による強力な要望活動が行われ、1916年12月1日に、住民からの駅敷地の無償提供などで、辻堂停車場(辻堂駅)が設置されました。  辻堂駅は2016年12月に開設100周年を迎え、記念イベントが盛大に開催されました。100周年を記念して発車メロディに採用された「浜辺の歌」は、作詞家の林古渓氏が幼いころに訪れた辻堂海岸の浜辺の追憶を歌ったものといわれています。地元請願駅である辻堂駅は、今も地域の人々に愛され続けています。 問合 藤沢市企画政策課☎0466(25)1111 昭和初期の辻堂駅