市制施行70周年特集 この秋、芸術の世界に 茅ヶ崎発 Next Artists(ネクストアーティスト)  音楽やスポーツ、文筆家など、数々のアーティストを輩出し、多くの文化人とも縁がある茅ヶ崎。  今回は、今後の活躍を期待させる次世代のアーティストとして、ミュージカルで観客を夢の世界へと誘い続けている俳優・神田恭兵さん。長く使えて、美しく、使いやすい家具を探求する家具職人・木村亮三さん。人の声に近い音色を持つヴィオラと、きらびやかなピアノのツインボーカルが魅力の姉妹デュオ・マリエリカさんに茅ヶ崎のことや、今まで歩んできた道、そして「これから」を語ってもらった。 神田 恭兵×ミュージカル俳優 「カメラに向かっていつも通り歌って、踊ってください」  8月上旬、海水浴客がいる茅ヶ崎サザンC前で本紙1面の写真撮影を行った。ミュージカル俳優の神田恭兵さんは無茶な要望にもはにかんだ笑顔を見せ、気さくに応えてくれた。しかし歌い始めると表情は一変。まさに舞台上さながらの雰囲気に包まれた。 ●緊張感を楽しむ ----サザンビーチでの写真撮影、お疲れさまでした。とてもすてきなパフォーマンスでした。 「緊張しました。撮るから動かないで、と言われたことはあっても、歌ってと言われることはないので(笑)」 ----俳優を目指すきっかけとなったのが、茅ヶ崎だと聞きました。 「高校2年の時に、茅ヶ崎市民文化会館で公演した神奈川県民ミュージカルがきっかけでした。募集要項にはコーラスとあったので、歌うだけだと思って応募したら実はアンサンブル(役名のない登場人物)の募集だったんです。しかもシーンごとに主役が成長していく物語の主役の一人に選ばれてしまったんです。でも、実際に演じてみたら、幼い頃に習っていたエレクトーンの発表会で味わった『緊張して体が動かないのに、あらゆるセンサーが研ぎ澄まされている心地よい感覚』がよみがえってきました。演じるって楽しいと素直に思い、俳優への憧れを抱くようになりました」 ----その後、昭和音楽大学に進学されますが、なぜこの大学を選んだのですか? 「それまで音楽の勉強をしていなかったので、専門の専攻を受験するのは厳しいと思い、一般教養で受験できて、しかも入学してから専門的な勉強ができる音楽大学を探しました。それが昭和音楽大学のアートマネジメントコースでした。  大学時代は専門的な音楽の勉強に明け暮れました。専攻科目の単位に加え『自分に必要な音楽の知識、歌や発声の技術を全部吸収してやる』というハングリー精神で、通常128単位で卒業できるところを、ほぼ倍の230単位を取得しました」 ●偶然から、プロになるという人生の選択へ ----どのようにして事務所に所属したのですか? 「大学3年の時に友人の主催する舞台を、今の事務所の社長が見に来ていて、そこで僕が手伝いで芝居していたのを偶然観たらしいのです。実際にスカウトされたのは、僕が人生初のスノーボードに行き、雪山の頂上で、よし! 滑るぞ! という時に電話がかかってきたんです。今思うと、電波がつながる場所で良かったなと思っています(笑)。人生の大きな選択でしたが、父親の『25歳まではやりたいことをやればいい』という言葉に後押しされ俳優を目指す決心をし、大学卒業と同時に事務所に所属しました」 ----事務所に入りプロになって、すぐに舞台に立てたのですか? 「俳優になると決めた大学3年から受けていたオーディションで『ミス・サイゴン』のトゥイ役に合格し、卒業後すぐに役に恵まれたものの、2009年後半から、しばらくオーディションに落ち続け、生活のことも考えて、アルバイトとの両立を余儀なくされていた時期がありました。なかなか結果に結び付かず、自分は俳優として何が足りないのか、このまま続けて良いのか、と相当悩みました」 ----苦難を乗り越えたきっかけは? 「2011年3月の舞台で主役を演じることになったのですが、公演初日が東日本大震災の1週間後でした。余震が続き、計画停電が行われている混乱の中にもかかわらず、お客様が自分の舞台を観に来てくれているのを目の当たりにし、ネガティブに考えている自分を変えなければと思いました。オーディションは自分のパフォーマンスが必ずしも悪かったのではなく、ただ今回の役に合わなかっただけだ、と前向きに気持ちを切り替えました。そんな矢先、宮本亜門さん演出のミュージカル『スウィーニー・トッド』の出演が決まったんです。それからは今まで以上に、一つ一つの作品に対して役を徹底的に掘り下げ、ストレートに芝居に取り組むようになりました」 ●飛躍の年、さらなる活躍を目指して ----今年7・8月に帝国劇場で行われた水樹奈々さん、平原綾香さんがダブル主演を務めた舞台「Beautiful(ビューティフル)」ではソロパートを歌われていますね。 「『OnBroadway(オンブロードウェイ)』という曲でソロを歌わせていただきました。役者には目標とするステップが二つあります。ソロパートを歌えたことは、一つ目の大きなステップなんです」 ----そして12月5日(火)から東京・日比谷の日生劇場で公演される「屋根の上のヴァイオリン弾き」に出演されると聞きました。 「はい! 今年は日本初演50周年を迎える記念の年です。今回、この記念の舞台で俳優として尊敬する市村正親(いちむらまさちか)さんとメインキャストで共演します。しかも役者として二つ目のステップであるチラシの表面に写真が掲載されました。  今年は、ソロパートとチラシと、役者が目指す両方のステップを上ることができました。本当にうれしいですね。  1967年に森繁久彌(もりしげひさや)さん主演で初上演されてから再演を重ね、長年愛されているこの作品を、僕のフィルターを通して新たな味を生み出し、さらに次の50年へとつないでいけるような作品にしたいです」 ●育った地、茅ヶ崎でミュージカルの発展を ----自身が茅ヶ崎で、進化させたいと思うところはありますか? 「ミュージカルを通して、芸術文化をもっと身近に感じるものにしたいと思います。正直なところ、ミュージカルってちょっと取っつきにくくて、微妙な距離感があると思うんです。それをなくすためには、文化の育成が不可欠であると考えています。まずは、僕が俳優を目指すきっかけになった県民ミュージカルのような舞台を、ここ茅ヶ崎で作りたいと思っています。茅ヶ崎のこれからの世代の子どもたちに、作ることや観ることで、ミュージカルをより身近に感じてもらえたら、芸術文化もより豊かに進化していくのではないかと思いますし、自分がその担い手になれたらと思っています」 かんだ・きょうへい(33)  1984年生まれ。茅ヶ崎市出身。2007年「ホンク」でミュージカルデビュー。その後「ミス・サイゴン」、「レ・ミゼラブル」、「紳士のための愛と殺人の手引き」など、数多くの舞台に出演。 木村 亮三×家具職人  とにかく楽しむことが家具作りへのこだわり。茅ヶ崎の雑木林で遊び、幼少から木々と触れ合ってきた。職人としての原点である茅ヶ崎への思いを語る。 ●図工の日の朝のような、わくわくする仕事をしたい  手先が器用で、物づくりが好きな子どもだった。 「図工の授業がある日はわくわくして、朝早くに目が覚めてしまっていましたね。子どもながらに、毎日図工の日の朝のような気持ちになれる仕事がしたいと思っていました」  堤や香川の豊かな自然に囲まれて育ち、親しみのある木材を素材とする職人になろうと考えていた。鶴嶺高校へ進学し、家具職人になるために、卒業後すぐ家具の本場、北海道旭川へ渡った。木工を勉強できる学校は全国にあり、実家から通える平塚の高等職業技術校という選択肢もあったが、家具職人になるという強い覚悟を持ち、旭川で「修行」をしようと考えたのだという。そこでは家具作りへの向き合い方が変わった。 「家具を設計して作ることの面白さとか、奥深さを知ることができて、家具作りに一生を費やしてもいいと思いました」  ひたむきに家具作りに向きあい、2000年には、青年技能者の技能レベル日本一を競う技能五輪全国大会で優勝するという結果を残す。しかし、翌年の国際大会では、最下位に近い順位という辛い現実を突き付けられた。その後も独立に至るまで何度も挫折を経験し、茅ヶ崎に戻ろうとも考えた。その度に旭川の業界の仲間や家族、そして茅ヶ崎の家族や友人に支えられ、ここまでこられたという。  独立後、2014年2月には香川の熊澤酒造敷地内にある「okeba gallery(オケバギャラリー)」で自身初の個展を開く。大雪が降る中でも、何十年ぶりの友人や、その家族が来てくれた。 「茅ヶ崎は自分の原点となった場所。初めての個展は育ったこの地で開きたかったんです」  そして、将来的には茅ヶ崎に店舗を構えたいという夢も笑顔で語ってくれた。 ●一つのことに打ち込むことで人は輝く 「自分たちが納得できるものを提供できないと意味がない。お客さんが納得できなければそれも意味がない」  ただ利益を得るだけでは心からうれしいとは思えないと、仕事への強い思いを語ってくれた。 「あとは自分が楽しんで仕事ができれば最高ですね」  一方、家具職人とは別に二児の父という顔も持つ。自分の育った茅ヶ崎の子どもたちへの思いもあるという。 「みんなと同じように『普通』に過ごすよりも、他の人と違うことを恐れず、何かに打ち込むことでその人は輝くと考えています。集中して何か一つのことをやり遂げるのは強みになる。好きなことを見つけて思いっきり取り組んでほしいですね」  代表になった今でも、家具作りに打ち込み、学びつづける。  茅ヶ崎の将来を担う子どもたちに負けないよう、自身も家具職人としてこれからも進化していく。 きむら・りょうぞう(37)  1980年生まれ。茅ヶ崎市堤出身の家具職人。2000年、技能五輪全国大会優勝、2001年技能五輪国際大会出場。現在、北海道旭川市で特注家具メーカー「株式会社ガージーカームワークス」の代表を務める。北陽中学校、鶴嶺高校出身。 MARIERIKA(マリエリカ)×ヴィオラとピアノの姉妹デュオ  昨年3月の市役所新庁舎のこけら落としで、素晴らしい演奏を披露してくれたマリエリカさん。地元湘南でのライブ活動を中心に、東京タワーでのライブや、2013年からANA機内上映番組の音楽を担当するなど、活躍の幅を広げています。 ●地元での活動の広がり ----二人で演奏するようになったきっかけは? ERIKA(以下E)「ラスカのレストラン街でピアノと弦楽器のデュオのコンサートがあったんです。その演奏を聴いて、私たちも挑戦したいと思ってオーディションを受けました。それが二人での初めてのコンサートですね。プログラムに1曲だけ入れたオリジナル曲が好評で、それが自信につながって積極的に曲を作るようになりました」 MARIE(以下M)「私はその頃まだ大学生でした。4歳からヴァイオリンを始めたのですが、大学でヴィオラを学ぶうちに、ゆったりとした音色に魅力を感じて、ヴィオラの方が自分に合っているなと思い始めました。姉がヴィオラに合わせて作ってくれた初めての曲が『Orange Blue(オレンジブルー)』という曲ですね。  自然な流れで二人でやるようになって、マリエリカという名前も、イベントに出るときに名前が必要と言われて後からつけたんです」 E「徐々に地元のイベントなどで演奏の機会をいただくようになって、今年の夏も、小田急百貨店藤沢店でのライブや、昨年に続いて室田八王子神社のお祭りで演奏しました」 M「地元での活動は、本当に人とのつながりというか、じわじわと広がっていった感じです」 ----活動が広がる中、ANA機内上映番組「SKY EYE(スカイアイ)~空からのメッセージ~」のテーマ曲に決まりましたね。 E「毎年参加している東日本大震災のチャリティーコンサートがあるんですが、偶然来ていた制作会社の方が『舞』という曲を気に入って声をかけてくれました」 M「それまでは地元の活動が中心だったので、ANAと聞いてびっくりしました。映像とのコラボレーションをやってみたかったので、すごくうれしかったです」 ●茅ヶ崎だからこそ生まれた曲 ----湘南をイメージした曲が多いと聞きました。 E「『生まれ育った湘南の情景を想い描いたオリジナル曲』と表現しているのですが、初期の作品は特に湘南の海や夕日をイメージした曲が多いですね。茅ヶ崎で生まれ育ったことが大きく影響していると思います。湘南の海の中でも、茅ヶ崎の海は特に明るいイメージがあります」 M「曲作りのために海へ行くこともあります。『Ocean(オーシャン)』という曲はまさに茅ヶ崎の海を見ながら作った曲ですね。4枚目のアルバム『雅―miyabi―』のプロモーションビデオもサザンビーチで撮影しました」 E「二人とも浜降祭が大好きで毎年見に行っていて、『祭』という曲は浜降祭をテーマに作曲しました。夜明けの海がとても幻想的で、そこへお神輿が入っていく光景は忘れられないです。134号線をドライブしているイメージで作った『ルート134』という曲もあります。どちらも茅ヶ崎出身でなければ生まれなかった曲ですね」 ●日本の良さを音楽に乗せて伝えたい ----今後の目標や夢は? M「最近は『雅―miyabi―』や『宴』など和のテイストを取り入れた曲を多く作っていて、国内だけでなく海外に向けて、日本の美しさや和の心が伝わるような音楽を発信していけたらいいなと思っています。  あとこれは希望なのですが、『マリエリカ通り』を作っていただけないかなと。5メートルくらいでもいいので(笑)。夢ですね!」 E「夢は『100年先も残る曲』を作ることです。私たちがいなくなった後も、いろいろな人が演奏してくれるような曲を作りたいです。  それから音楽に限らず、茅ヶ崎で芸術活動をしている方たちと何かコラボレーションできないかなと。総合芸術のような、大きなイベントで茅ヶ崎を盛り上げることができたらとてもすてきですね」 マリエリカ  茅ヶ崎市出身のヴィオラとピアノの姉妹デュオ。2010年にファーストアルバム「Orange Blue」をリリース。ANA機内上映番組のテーマ曲、そごう横浜店の開店・閉店音楽を手掛けるほか、ラジオ番組やCMへの楽曲提供も多数。