第55回 平和のつどい 禎子鶴寄贈式・お披露目式の開催 広島平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの折り鶴が、茅ヶ崎市に寄贈されることになりました。本市への寄贈は国内6都市目で、神奈川県内では初となります。ぜひこの機会に禎子鶴の寄贈に立ち会い、禎子さんが残した平和へのメッセージを感じてください。 【男女共同参画課多文化共生担当☎(57)1414】 日 時 8月15日㈫13時30分~16時20分 場 所 市役所分庁舎6階コミュニティホール 第1部 式典:市主催事業 禎子鶴寄贈式、「平和について」ポスター・作文コンテスト入賞者表彰・入賞作品の朗読(作文の部)、平和大使感想文の朗読など 第2部 朗読劇:平和を考える茅ヶ崎市民の会実行委員会主催事業 佐々木雅弘さんと市民による禎子物語の朗読劇 第3部 お披露目式:市主催事業 禎子鶴お披露目式、佐々木祐滋 さんによるコンサートやフラダンスショー(カロケメレメレ・フラ・スタジオ) 禎子鶴は8月16日㈬から市役所本庁舎市民ふれあいプラザに展示 寄贈者 NPO法人SADAKO LEGACY 理事長:佐々木雅弘さん(禎子さんの兄) 副理事長:佐々木祐滋さん(禎子さんのおい) 佐々木禎子の生涯 1945年8月6日、当時2歳だった禎子は爆心地から1.6kmの広島市内の自宅で被爆。10年後の小学6年生の時に白血病と診断される。闘病中、「鶴を千羽折れば願いがかなう」と折り続けたが、願いは届かず広島赤十字病院で短い生涯を閉じる。享年12歳。 禎子の死に衝撃を受けた同級生たちは「原爆で亡くなった全ての子どもたちのために慰霊碑を造ろ う」と全国へ呼びかけ、1958年5月5日、広島平和記念公園に「原爆の子の像」が建立される。 世界へ伝わる禎子ストーリー 禎子の生涯は「原爆の子の像」の建立後、「サダコと折り鶴の物語」として世界に知られることとなります。広島を訪れたオーストリアのジャーナリストが禎子の話を聞き、創作を交えて描いた「廃墟の光」を発表したことがきっかけとなり、世界各国で絵本やアニメとなって広まっていきました。 その後も、広島市長が国際司法裁判で「核兵器使用の国際法上の違法性」に関する審理に証人として意見陳述した際、被爆者として禎子を紹介するなど、禎子は核兵器廃絶と世界平和実現の象徴的な存在となっていきます。 広島の被爆少女であった禎子は、時代や言葉、民族、国境を越えて世界に伝えられ、人々の心の中に生き続けています。 隣の人と仲良くすることが平和につながる NPO法人SADAKO LEGACY 佐々木祐滋さん(禎子さんのおい) 茅ヶ崎市が関東の中心になって  2013年にハワイのアリゾナ記念館に禎子の折り鶴が寄贈されていますが、姉妹都市である茅ヶ崎市にも寄贈することによって、禎子ストーリーを日本の方々にもっと知ってもらえるのではないかと思っています。実は、海外と比べて日本では禎子ストーリーがあまり知られていないという現実があります。広島から離れるほどそう感じることが多いので、茅ヶ崎市が関東の中心となって禎子ストーリーを発信してほしいという希望が、今回の寄贈の大きな理由です。茅ヶ崎市とハワイから、さらに世界に発信していきたいと思っています。 周りの人の力があって今がある  人間は一人では生きられないですから、人と支え合いながら心を豊かにして、隣の人の大切さを感じることが必要だと思います。自分が今こうしていることは自分だけの力ではなく、周りの人の力があって今があるのだと感謝しなくてはいけない。そういう心を育てていくことが大切であり、平和な世の中を作っていく近道ではないかと。 子どもたちに「戦争反対」、「核兵器廃絶」と訴えても身近に感じられず、行動を起こしにくい。だから考え方を身近なことにしてあげて、隣の人と仲良くすることが平和につながるんだよと教えてあげれば、すぐにできると感じて行動を起こしやすいのではないかと思います。 佐々木祐滋さん シンガーソングライター 被爆二世でもあり「世界へ伝わる禎子ストーリー」を通じて、相手を「思いやる」ことや相手と「分かちあう」心を共有できるように、禎子さんの遺品の折り鶴を世界各国へ寄贈。歌手のクミコさんがカバーし、ヒットした「INORI~祈り~」の作曲者